戦争に賛成も反対も所詮はエゴ

 ロシアの情勢がどこまで、私たちに正確に伝わっているかは定かではありません。今見える構図はプーチン大統領が、国家総動員令を発し、予備役の元軍人なども徴兵するということで、ロシアから出国する者や、ワザと骨折するノウハウが出て反逆罪が強化され、国が混乱してプーチンの支持が下がっているいるという事象です。
 西側のマスコミとしては、ロシアの非道さ、市民の人心との乖離、プーチン体制の危うさを訴える機会と喧伝するかのようです。
 間違いではありませんし、ロシア側を庇うことではないのですが、戦争とは良かれ悪かれそんなものです。
 何もプーチンのロシアにだけ、そういうことが起こっている、起こるわけではありません。いざ、自分や家族、愛する人が戦地に赴き、生命の危機となる。銃口や刃物を突き付けられば、誰でも国家への忠誠より自分が大事です。

 日本が敗戦したアジア太平洋戦争でも軍部におどらされ喜々と戦争を賛美した層と、密に戦争には反対していた人はいました。そして、明確に分かれるものではなく、自分がいざ招集され厳しい戦地で理不尽な扱いを受けたり、空襲や被爆の被害を直接見れば心変わりする人も当然いたでしょう。
 戦争なんて、当事者となる指導者も悪いですが、それをああだこうだ言う兵士も、予備役の市民、傍観者の市民の多くは身勝手なものです。国家が安泰に保たれているなら、戦争をしようが核を持とうがどっちでもいいはずです。私もそうです。エゴです。日本も歴史上、外国と何度か戦争を行い、内戦も幾多もありました。そしてほとんどが、市民は勝てば官軍、結果的に勝てば良い、自分や周りが傷つかないことが第一でした。世界の平和やまして相手国の人間などどうでもいいのです。エゴとエゴのぶつかり合いですから、戦争は白熱し、指導者は勝つためには市民を犠牲にしてでも勝たないといけないのです。
 

 市民側は負ける戦争はして欲しくない、これもエゴです。

戦争を放棄して、軍隊を持たないと言えば戦争を逃れられるかというと、これも疑問符はつきます。他人や他国人を信じ、無防備で戸締りもない、警察もいない社会が成り立つかというとそうではないからです。
 しかし、武器を持っていれば安心か、警察や軍がいれば大丈夫かというと、世界的にはそうではありません。抑止力というものはある一定効果はあっても、限られてしまいます。また軍隊を持ち、核を持つ上で、敵国とエゴがぶつかり合いと、好戦的になりやすくなるというジレンマが生まれます。
 まかり間違っても戦争は勝てそうだからするものではないのです。100%無傷で勝てる戦争はないのです。人の領土や命を取り合うのですから、相手も必死です。戦争が始まる大義名分など、ほとんど嘘っぱちで始まり、それに市民が騙され煽られ、自国が正しいと信じて犠牲を厭わないムードにハメられます。

 戦争はあくまで、不幸を招くので最大限の外交、和平努力が必要だということです。

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