30年以上前にもパ・リーグに激闘と激動があった

 オリックスが一昨日大激闘のシーズンを象徴するような、最終試合での優勝を争ったソフトバンクとお互いの逆転勝ちと逆転負けで優勝を決めました。

 オリックスの宮内オーナーも今年で退任されるということでした。1988年は10月近鉄がロッテとのダブルヘッダーで最後の引き分けで西武が優勝を手にし、近鉄が優勝を逸した激闘の10.19がありました。それと相前後して、名門球団の南海ホークスと阪急ブレーブスが劇的に身売りをしました。

 昨夜優勝した、オリックスバファローズはその年に現宮内オーナーのオリエントリース改めオリックスが阪急ブレーブスを買収したものに、その後2004年球界再編で混乱した原因となった近鉄バファローズをの営業譲渡を事実上合併してオリックスバッファローズとなったものです。優勝を争ったソフトバンクホークスはこの年南海ホークスを買収したダイエーホークスがダイエーの本体の不振で台頭した携帯電話会社が買い取ったものです。
 宮内義彦さんも当時まだ50代で、球界では老舗球団からは新参者として苦労もされたはずです。

 私は子供の頃から、関西のひねくれもので阪神ではなく、実家沿線の阪急でもなく。近鉄バファローズのファンでした。
 当時今のネット配信も、BS放送もなく、せいぜいラジオで放送があれば垂涎ものでした。あとは巨人戦などの途中経過を待ち遠しく一喜一憂していました。今は試合の経過など、ネットですぐリアルタイムで速報されますが、昔は本当に情報は遅く貴重でした。

 マイナーな消滅近鉄球団の、さらに短い時期仰木監督の時期がムックになるのも現代ならではです。オリックスの中嶋監督はオリックス時代の仰木彬の戦術を思い出させる奇策、奇襲を持っています。

 2004年に消えた近鉄球団最後の生き残り現役だった現ヤクルトの坂口選手も今年限りで引退して、ますます近鉄の痕跡は人々の脳裏から消えそうですが、一部のマニアの中に本や記憶はいつまでも残ります。

 1988年はバブル崩壊の前で、まだまだ今は衰退した企業もバリバリでしたが、阪急や南海。近鉄は今のように真面目に球団経営もできず、手放してしまいました。
 近鉄を飛び出した野茂英雄がメジャーへのパイオニアとなり、大谷翔平のような新世代を産むきっかけにもなりました。そして日本の野球も、村上や佐々木が登場し、遠くへ飛ばすパワーのある打者と、150キロを超える速球や強い変化球主体の投手の時代へ、大きく変わりつつあります。

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