日本人の意地!イギリスから脱却して近代化 鉄道150年です5

 日本の鉄道が150年前、陸蒸気と呼ばれる蒸気機関車で初めて新橋~横浜間を走ったのは良く知られています。その最初の蒸気機関車1号機はイギリスから輸入されたもので、大宮の鉄道博物館で見ることができます。
 今年が150年目ということで、多くの特別番組などでテレビでも紹介されました。このカラーを見て、後の国産のD51などに比べ、いかにもイギリス的な赤だと感じた方も多いようです。

 幕末の薩長と幕府の時代から明治維新後も、西洋の列強はアジア諸国での利権、支配を我さきにと図っていました。

 とくにイギリスは日本に軍隊をはじめ政治や産業、文化などあらゆる部門で影響を与え、支配を試みようとしていました。
 当時の日本の政治、経済、学問などの先駆が偉いと思うのは、この先進国の完全支配を嫌がり、なんとか日本人だけで考えて独立を保ったことです。島国で遠隔の不便も利点となり、鉄道もイギリスの技術を学ぶと、十数年後には日本蒸気機関車を作り、鉄道も敷設し、トンネルや橋梁も作ることができるようになりました。

 鉄道ファンには、日本の鉄道のレール幅がイギリスの当時の指導により狭軌1067mmで始まったことは著名です。それこそイギリスの横柄な差別意識、植民地嗜好の生んだ残念な運命で、この1点を持って私はイギリスという国が、好きではありません。軌間は国際的には新幹線や幾つかの私鉄で使用されている1435mm軌間が標準的で、最初に標準で始めまらなかった日本の鉄道は高速化や、新幹線と在来線の乗り換えなどで不便や遅れをとり、今も苦しむことになります。

 当時のイギリスにとって、日本は辺境の島国でどうせ大した発展もしないと考え、山あいや森林やジャングルを走る小さな鉄道クラスで十分と考えたのです。それでも輸入コストやライセンスなどは明治政府にとって法外な負担です。またトンネルの技術などは、元々金銀の鉱山の採掘技術のある日本は優れたものを持ち、すぐにイギリスの技術は吸収して追いつきました。残念ながら、すでに多くのJR路線で狭軌のままレールがひかれているのは、イギリスのせいです。

 それでも早い段階で無煙化、ディーゼルや電車の開発にも努め、世界でも有数の高速鉄道を走らせる鉄道王国となり、高度経済成長を迎えたのは明治以降の、政治や鉄道に関わる人の意地や頑張りが大きいのです。

 EVにシフトする自動車や通信、ITなど、今また世界は日本を支配しようとしていますが、これからの日本人も明治先駆の鉄道関係者の奮闘を顧みていただき、意地を見せて欲しいです。

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