思索の秋、内外の政治を憂う

 何かと物思う秋になります。

「今の政治は、与党も野党も、腐りきっている」「ロシアも北朝鮮も国連で何とかならないのか」との嘆きが、右からも左からも飛んできます。諸物価高騰で、ちょっとしたものが値上げされたり、ダウンサイズしてたりでイラつくとろです。さらにミサイルが発射されただの統一教会と政治家がまたどこかでつながっていたとか、ワクチンの何回目かを打てとか何だかの世相です。

 日本の政治というのも、このままこの程度でもいいという一部の保守層の方もおられますが、今回その背景にあった半島由来の宗教からの支援はちょっと肯定、擁護するのには愛国者、保守でも難しいところはあります。

 かと言って、本当にクリーンに改革でき、入れ替わって政権を獲れる会派も政党もないのが悲しい状況です。というのか、元々、保守と革新(死後か)リベラル、右翼左翼で党派を組み、閣内一致を見ないといけない政党内閣制自体に無理があるような気がします。科学技術も国際情勢も経済も日々変化する中、一つのイデオロギーや体制に固執しても純粋に国家を護ることなどできないのです。

 革新とかリベラルというのはイデオロギーでもなく、現体制のアンチに過ぎず、一時革新都政、革新市長などという首長さんの時代がありましたが、何期かつづくと中央から見ると野党系で革新でも、その自治体下ではどっぷりと地元利権とつながった体制派となってしまいます。

 2009年民主党を中心とした政権交代が起こり、いくつかの改革が進められますが、多くは実現せずに、政権も党も木っ端みじんと言っていいほど解体され、自民党の実質一強時代に戻ります。政権交代可能な二大政党制にメリットデメリットはそれぞれありますが、その実現を図った小選挙区制で政権交代が絶望となると、何らメリットはないのです。

 もうそんな政治や選挙に期待しないという声も増えています。

 定年延長がなされたとはいえ、世の中では60歳も過ぎると役職定年が来て、後継に道を譲りはじめ、体力も気力も判断力も衰えだす時期です。新しいものを取り入れるよりは、排斥して立場も現状維持を図る年の人たちが、一般社会では老害な年齢の方々が今の日本の政治を牛耳ります。これはキツイですね。

 しかもつまらぬ体制反体制の争いが大きくなり、実質的な国民に役立つ議論がないがしろにされ、一般的にオープンにもなりません。左とかリベラルとひとくくりにされて糾弾され、それをまた本当の左巻きが支援したりするので、話がややこしくなります。

 たとえば、原子力発電をどうするとかエネルギー問題。沖縄の基地をどうするとか言う問題、あるいはコロナの対策ワクチンや経済支援などの問題、ウクライナの問題でロシアにどう対処するかなどの問題がそれぞれあります。
 こんな問題はそれぞれ保守やリベラルのグループで分かれるものではなく、これは〇だけどこっちは✕となるはずです。当事者の利害は当然あるとして、純粋に選挙や党派関係なしに日本のためどうすべきだというものがまず必要なのです。それで、当面損を蒙る地域や、業界、負担を強いられる国民に納得をしてもらうことに特化しないと政(まつりごと)は進まないでしょう。行政の失敗でも、統一教会問題でもしかりです。たまたま何政権の時に発覚とか、どうなったではなく、責任ある処分はしても政党や政権全体の責任ではないので、これからどうしていくかであって、そこの議論を開示しないと、政権や与党で強引に進めるのは反発だけになります。

 政党や政権が進めるのではなく、日本が国として決めて進めるのであって、それは決めれば国を護るためやらないといけないことになりわけです。

 国民は高度な政治レベルで言えば愚民です。けれどただそれを利用するだけの政治家、政治家や行政トップでは国は護れないでしょう。民間でも若い年齢でもアイデアはどんどん拠出される時代です。実質的に判断力のない政治家は早く引退して、体制を徐々にでもかわないといけないのです。

 

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