命は重い、化学兵器の業【ごう】は深い  書評#大久野島からのバトン #毒ガスの島

 今年はロシアのウクライナ侵攻問題で、戦争がひと際現実的なイメージで日本人にも意識された年です。沖縄本土復帰から50年の今年、春に私は広島と瀬戸内の島を訪ねました。

 なかなか重い、読むのが辛いところもある本です。殺人事件や、ホラー、勇ましい戦争モノや難しい手術の医療モノは難なく読めるのに、ティーン向けに書かれたようなこの本の登場人物の運命に胃が重くなりました。

 戦後、修学旅行は復活したひと昔前の昭和の時期、山陽方面の定番は広島の原爆ドームと、竹原市沖に浮かぶ、大久野島の「毒ガス資料館」だったそうです。

 広島の平和公園と原爆資料館はリニュアルされ、今も観光客や修学旅行生で賑わっていますが、大久野島は「国民休暇村」と長閑なうさぎの島としてはそれなりの人気ではありますが、毒ガス資料館への来訪者はもうそれほど多くはありません。

 日本にとって、原爆を落とされた被害の国であることは、核問題もありいつまでもバトンが継がれていますが、加害国として毒ガスを作り、その製造者も病に苦しみ、実際に中国で少なくない犠牲者をだしていたことはあまり語られません。

 南京大虐殺などをオーバーに反省し、軍国日本が一方的にアジアで覇権を狙い、残虐の限りを尽くしたという自虐史的な歴史観は私も好きではありません。どんな戦争にも100%の悪も正義もなく、お互いが正義の聖戦と信じて戦ったのです。しかし、自虐史観を全否定した愛国主義、右翼が日本の戦争で何があり、加害は何だったかさえも全部もみ消しするのはいけません。この本が自虐史観の左翼に利用されるのも、軍国復活の右翼に否定されるのも良くありません。ただ、バトンが渡るように伝える、ありのまま語られるようにするのが大人の役目でしょう。

 「戦争が無い時代に生まれてよかった」これは戦後、令和までの子供や大人全てのホンネでしょう。遠くの国で、戦争があり死者が出ても、まだ対岸の火事です。

 ここから、戦争に巻き込まれないという気持ちは、平和を貫くか、抑止力と言われる兵力を強大にして戦争に負けないようにするか、感じ方も考えも別れます。

 戦前戦中でも、誰もが自らやその愛する家族が戦地に赴くのイヤだったようで、兵器の工場でお国のために働けて、兵役が逃れられるならと、就職試験に受かった人も家族も歓び、大久野島には人が集まって秘密裡に国際法違反の毒ガス製造は行われていました。製造者にも被害が出て、兵役に行った方がマシだったような生き地獄も描かれます。

 現代の戦争は垢抜けたドローンやサイバーテロで、敵基地攻撃能力を身に付ければ、兵役なくとも楽に勝てる、お金さえ出せばいいと考える人もいます。戦争がそんなに甘くないことは、ウクライナを見ればわかるでしょう。戦争は市民を巻き込み、生命、財産を奪い、大変な不自由を強いられます。

 大久野島では今は野ウサギが何事もなかったように、元気にインスタ映えする愛らしい姿跳びまわっています。やがて生き証人は絶え、人もウサギも70年前、生き地獄だったことは、資料館とこういった書籍で垣間見て伝えていくしかありません。

 この可愛いウサギたちは毒ガスの動物実験から逃れたものではありません。戦後持ち込まれたものと言われていますが、毒ガスの実験動物の子孫たちと、偽って伝えた方がいいのかもしれません。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください