忘れられない女性 Mさんのこと

写真は関係なしの、フリーモデル画像

 天使が舞い降りるような励ましばかり書いていますが、罪深い人間だったことも多く、深く落ち込み反省することの方が多かったかもしれません。現役の化粧品販売の現場時代で、少し暈かしながら書いていたこともありますが、やはりイニシャルでも想像されるとまずいのでいろいろ修正を加えバブル期前後のビターな思い出を含め、少し時代や人物を変えて自戒を込めて振りかえります。

 Mさんのことは、それまで学生の延長っぽい女性との付き合いしかなかった自分にとっては大人的な女性でした。ボーイッシュなショートカットにしても大変アダルトな色っぽい美人だったと思います。ソバカスも多少あり、今思うとアイメイクをばっちりしていてもそれほど目が大きい感じではなく、笑う銀の処置歯さえ見えたのですが、全てが魅力的に見えました。
 キリリと凛とした佇まいで地方局の番組にも出演して、自社商品のPRをする役を担っていました。出演した番組のビデオは毎週録画して何度も静止したりして見ました。そんな自分の好意や興味は自然と伝わるのか、ある時期二人で新入社員の指導プロジェクトチームを組んで仕事をしていた時も、こちらの気の利いた冗談に毎回大うけしていました。
 自身は自分の隣にさらに若く美人で胸が大きく脚も長いHさんにライバル心や、コンプレックスを持っていたようです。H山さんにはMさんはキツく当たるときもあり、そんな面を見せるのを少し恥ずかしがるのか、そのキツさが正当であることを理由を述べて弁明していました。女性二人のバディは難しいものです。ここに何人もの男性が絡みます。
 激しい競争や、出し抜きがありMさんもH山さんも多くの女性社員のトップに立ち、その前にいた先輩女性を押しのけていったはずです。当時からそこの部署の女性トップは、支社トップや本社とのつながりも重視され、男性幹部への接待も当たり前でした。

 Mさんも結婚はしましたが、すぐにすれ違いも続き、子供もできないで別れ、以来仕事一筋の当時の女性としては珍しい生き方で、世間的にも風は冷たかったはずです。
 Mさんの悪い話を聞いても、年上でバツイチということでも自分にとっては変わらずMさんが好きになっていました。美術館へ行く話はたまたま発売される香水の名前が画家にちなんだものなのでトントン拍子に決まりました。当時は気の利いた食事をする店も知らずに、知っているイタ飯に誘いました。美人の横にいるだけで緊張する初々しさが我ながらあったようなデートでした。デートと言えるのかわかりませんが、その後、また会いたいといい2度目のデートの帰り、Mさんのマンションに寄ることになりました。 自分がバツイチで年上だし、もう一度結婚していい奥さんになる気がないんだとははっきり言われましたが、それでも家を出る前の玄関で見つめ合い、抱きしめてキスしました。

 30を過ぎ、当時の男子としては、もう親も親戚も会社も結婚しろの大合唱の中で、結婚する気がなく、万一その気になっても当時の周りからは反対が出そうな相手と、恋に落ちていきました。
 ワンルームマンションとは言え、当時の独身が横に並んだ寮でクルマもなく、帰宅していないとすぐにわかります。休日前なら実家や旅行もいい訳できますが。平日の外泊はいかにもという感じです。
 長い人生の中では、ほんの短い一幕かもしれません、それでも1年足らずの交際期間、半同棲期間の中で、何度も泊まり、食事をしてお酒を飲み、朝近くまで激しく愛し合ったものです。
 バブル景気とは言え、化粧品に課せられた目標は高くノルマは厳しく、私もMさんも仕事だけでも結構疲弊していました。たまに会い、お互いのマンションに泊まるときも体調やリズムが合わないときも出てきました。
 ひた隠しにする二人の仲ですが、私の周りにも取引先からもしつこいばかりに見合い話は来ましたし、Mさんも上司の接待やさまざまな提案を要求されてある程度女性を武器にした仕事を強いられています。

 ある時、H山さんから、それとなく、Mさんは元々、N課長の寵愛を受けてのし上がり、h本社役員が来る度に夜の接待をしていたことや、今はB野さんとも不倫していると囁かれます。
 B野君は確かに仕事のできる同僚で、上司受けもよく、後輩ながら追い抜かれそうな勢いのあるやり手ですが、家庭持ちの転職組で、それこそ不倫です。
 Mさんにとって、いずれにせよ自分はオンリーワンのパートナーではないし結婚相手ではないのだろう、それが分かって付き合っていたのだから仕方のないこととは言え焦燥感はありました。。

 何となく、Mさんと会う頻度は減り、やがて仕事で顔を会わせるものの、気まずい空気になります。メールやLINEのない時代ですれ違いだすと、電話しかないのでつかまらないと終わりです。深夜に何度も電話がかかり、こちらも体調が悪いと切ると、心配なのか何度も架けてきて、家まで来ると言うけど、断りました。
 関西への異動がほどなく決まり、彼女とはこれという別れの言葉もなく、「お疲れ様でした。ご栄転おめでとうございます」の定番的な言葉だけでした。H山さんはその場面で「京都の彼女とより戻せるわね」とかつまらぬ冗談を言い、送別会の後の地下鉄駅では、私には「Mさん追いかけなくていいの」と訳知り顔で言いました。
 その後、仕事からみで転勤先から何度か電話はしましたが。
 その後私も地元関西で公私とも忙しくなり、元の職場のことも彼女のことも忘れていました。
 もうずいぶん時間が経ってから、彼女はさらに厳しくなった体制下で、パワハラ的な激務が続き、ある日自宅で自死している姿が見つかったという話を聞きました。なぜ、その事件を速報段階でも知らずに過ごしていたか、遡って調べるとその日私は新婚旅行でスイスに行っていました。今でこそ人事や事件は社内イントラですぐ知れる時代ですが、当時はそうなかなかすぐには伝わらないものでした。
 その死の真相を調べる術も何もない自分に呆然としたものでした。何とか電話でも相談に乗ってやれなかったのか、あの時マンションを訪ねると言われ拒否したことも今となっては後悔でした。
 彼女のお墓がどこにあるのか、実家のある別の県なのだろうかと想像するだけで何の情報もありません。今さら前の職場に、実は交際していたから詳細を教えてとは言えない状況です。まして不倫関係にあったとされたB野くんは、自殺の原因としてパワハラのスケープゴートにされ退職に追い込まれています。
 Mさんの後の女性トップには当然H山が座り、新体制を組んでいるとの話でした。
 H山さんには東京の会議でその後顔は見かけましたが、声はけませんでした。ほどなく退社したようです。
 短い生涯を終えたMさんのことは時々思い出したり夢に出てきたりします。テレビを見ていてふと、出てくる女優さんの表情やルックスがMさんとH山さんに似ていたりするのが浮かんだりします。美人薄命とは言いますが、最近は定年まで勤めあげる女性が増えた中、30代で仕事のために命を落とすのは何とも悲しい運命です。

 私にはキャリアウーマンとの共働き夫婦生活は今考えると想像しにくいですが、選ばなかった人生があったのだとは思います。あの時、何が何でもMさんと結婚していたら今Mさんはこの世にいるのかと想像することは少し怖いです。

 人生は無限の選択肢に連続です。選ばなかった人生は存在しないのです。

電卓ワザに長けたB野君、借金まみれのA田氏ら同僚と過ごしたバブル期 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

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