東北の悲劇の後に来る悩み

 やはり今週は3.11を特集した報道や企画番組も多いです。そんな中、鉄道系の旅番組でも、報道特集番組でも東北日本海側3県の海岸の防潮堤が今年度中に98%まで出来上がると言う情報が流れました。一部しか実際には見ていませんが、少し異様なまで堅牢で、1メートル60センチを超え、美しい海岸はなかなか街から見えなくなっています。
 自然破壊も当然進み、生態系にも大きな影響はあるでしょう。
 自然観察、生態系環境変化調査のボランティアに関わりましたが、その観点でいえばあれだけ他の地方から土砂を持ち込むというのはある意味とんでもないことです。それでも緊急事態で、命や生活がかかれば景観や生態系など優先順位は下がります。
 ところが、ある程度予想はありましたが、それ以上に人口は減り、守るべき人の少ない防潮堤が聳え立つ姿は、何だか寂しい限りです。
 それでも人の命を守るものですから、間違っても「どうせ限界集落になるから要らん」とは言えないものでしょう。
 生き残る人であえて町に残る、土地に執着する人への対応はデリケートで難しいものです。生き残った人、守られる町は、運命を背負いつつ普通の生活に戻るだけを所望しているのですが、すでに戻れないのです。
 それでも、運命を受け容れ、、これだけいろいろなことがあっても生きていくことは意味のあることなのでしょう。

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