百花繚乱は醜いのか?散り際こそ美学か

「世界で一つだけの花」というSMAPが唄ってヒットした曲があります。沢山の花が店先にあふれ、どれが一番とかではなく、どれも自由にキレイに咲き誇っているということです。
 日本では桜が重用され、もてはやされクローンとも言われるソメイヨシノがあとこちで大量に植林され、山桜や他の桜とともに町や野山の春を彩っています。
 私でさえも思わず、桜の情景、画像をSNS上にアップしたりしていますので、今の時期は多くの方の画像、動画で溢れています。
 花が競うように咲き誇り、虫や鳥が戯れるこの星を、半村良という作家の「妖星伝」という小説の中では、宇宙から見れば醜い生存競争にあふれた惑星だと語られています。天邪鬼的かもしれませんが、美しい花弁の花や、資材として役立つ樹木だけが人間とともに競争に勝ち進んでいます。見捨てられる植物に連なる昆虫や小動物、それと連鎖する全ての生物にとって不公平な歪んだ世界とも言えます。
 昆虫の中には、ある植物にしか卵を産まないものもいます。魚や動物の生殖もまだ知られないことが多く、特定の自然環境でないと育まれないため絶滅するものもいます。
 花などの植物も動物も、もちろん何も語れません。美しい花には棘があるという言葉もありました。ソメイヨシノのように一斉にたくさんの花を咲かすことができる木だけを増やし、地味な植物が持っていた自然界での役割を研究もされないまま、放棄してしまうことは人類や地球にとって、致命ではなくとも何か大きな喪失ではないかと思います。
 花粉症やウイルス、癌、自然災害、現代の災厄は、はかりしれない地球の生命たちの営みを少しずつ歪曲したからかもしれません。

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