最もエライ働き方は無報酬、低賃金か

 理系の推理作家で「すべてがFになる」等で著名な森博嗣さん、今はセミリタイアにして悠々とたまにエッセイを書く程度ですが、生き方の指南書のようなものも良く書かれていてとても参考になります。
 比較的、さっぱりと論理的に割り切る生き方を進めるパターンの多い著者ですが、「諦め」に関して、一方的ではなく、よく分析されています。多くの方がその対極というべき、「こだわり」にとらわれてしまうことからの解放を諭しています。
 あとはネタばれになるので、大まかに彼のエッセイ全般に受けた印象からの話にしておきます。

 もちろん、印税だけでも大金持ちで、若くして国立大学の准教授にもなられて、片手間で書いたミステリのシリーズはベストセラーになるような天才的な成功者であり、多くの啓蒙書や成功の秘訣話同様に、凡人が読んだり聞いて真似できることと、全く無理なことも確かにあります。それでも論理的な思考や発想は影響を受けます。
 彼の論説の中に、「働くことはエライことでも何でもない」というのがあります。お金という報酬を貰うわけです。
 お金を必要として、他に手段がないなら割り切って働くしかないから、諦めを促し、「働き甲斐」というものは基本的に否定されます。
 結果好きになればいいけれど、好きになれる仕事がないから働けない、働かないというのは違うよということです。労働=苦行説ではなく、あくまでその人ができる仕事を割り切ってやって、多くの職場が成り立ち社会が営まれていることがわかります。苦しいから賃金が高いのでもなく、そこにあるのは仕事という対価のあるものだというだけです。
 これには、いろいろ異論というか、逆説もありそうですが、一つの考え方としてはスパッと悩みを断ち切れます。
 森さんは相談の投書などで、救いのないほど冷たく、夢のある仕事に就きたいとか言う人をバッサリ斬られます。
 夢を追い続けるなら、死ぬほど努力して追い続けてみて、ダメだと気付けばあきらめろと、要するに、熱血的な答えと同じになってきます。
 それほど、夢や憧れへの執着がなく、才能もない人で、お金が欲しいなら、悩む必要もなく働けば良いという、実も蓋もない論理的結論です。
 こういう辛口になれないでややオブラートに包む回答者の方が人気があるのかもしれません。
 大金を稼ぐとか、高額所得者がエライというのも否定しています。年収や時間給が高ければ高いほど、それに見合う対価の仕事をしているというだけで、偉くなるわけではありません。
 立派な仕事をしておいて、お金を貰わないとか、最低賃金しか貰わない方がエライと言う定義には当てはまります。それは論理的には全くその通りです。
 高額報酬を何に使おうともちろん自由です。
 そうなると、ボランティアで無償で汗を流し、お金を貰う人よりも社会貢献するなんていうのは、さしずめすごくエライことです。
 これ以上はネタバレになりますが、森博嗣さんの本は書名とは営業上しっくりあっていないですが、ハマる人にはすごく面白く、参考になります。

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