袴田事件では再審が認められ、警察や検察の捜査の在り方も問われました。検察の暴走というか政治的な逮捕で、結果冤罪、無罪という事件も官僚や政治家でありました。
少し前に、北九州の飯塚事件に関しては、再審は認めないという決定が福岡地裁で下されました。
何でもかんでも再審や検察審査会をしていては、検察や裁判所の威厳も何もありません。裁判所の場所も人も足りません。確かに殺人事件などの捜査も昔はDNA鑑定もなく、自白の占める判決への影響も大きかったでしょうが、かといって全てが検察の横暴ではなく判事も判断を誤ってはいないでしょう。確かに遺族も含めて死者の名誉も無罪ならば回復することに意味はありますが、死刑が執行されたことにも重い意味はあります。
京アニ事件では、死刑が求刑され控訴されました。弁護側は死刑を減刑して無期とか心身喪失で責任能力なしで無罪を狙っているのでしょうか。
盗作とか、いろいろ尾びれの話はつく男ですが、あまりにも多くの死者を出したのは決して企図しないバカだから始末が悪いです。
死刑が極刑だからということで判決に納得した遺族もおられましたが、いつまでも終身刑で反省させるのと基本は変わらないのではと思います。
昨日報道された北海道留萌の女子高生殺人、こういうヤンキーみたいなのが起こすどうしようもない事件も嘆くしかないです。裁判する方も、弁護人や判事も大変です。
法律で裁けないとして、SNSで非難をし、罷免された裁判官もいました、現代には恨みをはらす闇の仕事人はいません。法の遵守と柔軟な運用をして、学校教育ももう少し『ゆとり』ようり品性、理性、道徳を教えるべきです。人に大きな迷惑をかける世の中にそのまま出してはいけない人は人権うんぬんより、もっと教育しないといけないでしょう。