平成30年、今から数年前になる国会で麻生太郎(当時財務大臣、副首相)が消費税や少子化対策、格差是正などの問題に対し、ランドセルの話をご自身の子供時代を振り返り話しています。
『私のところは結構金持ちのうちでしたけれども、ランドセルは俺だけだったよ、革のランドセルじゃなかったな。全校で、学校に入ったときに制服を着ていたのが三分の二いないと思うな。半分ちょっとだったですよ。学習院に行ったんですけれども、革の靴を履いているやつは一人、革のランドセルを背負っていたのは、赤間文三という大阪府知事の娘一人でしたね。えらいうらやましかった記憶がありますよ。ズックのかばんというのが全員、しかし、初等科の六年生を出るときにズックのかばんのままだったのは俺だけでしたね』(衆議院議会録)
時代とともに、意見や考えも大きく変わると、はぐらかすような主旨の答弁かもしれませんし、83歳の麻生氏の小学区の頃はまだ昭和20年代後半で、学習院初等科ですのでまた今の世間の参考になるかは微妙です。
しかし、麻生少年が持つことのできなかった皮などの高級素材のランドセルは、その10年ぐらいあとにはどんな庶民でも100%の小学生が持つようになります。みんながランドセルを背負いだすのは、素材が進化し6年使用できるようになった昭和40年代頃からのようです。
ランドセルは明治から輸入されたものですが、小学生にマストになっているのは日本独自です。さらに最近はA4資料が収納でき軽量化とともに、デザインや色もさまざまで、セレブな小学校などはとくに予約で競い合うように映えるランドセルを買うようです。
価格も4万~数十万円、安いモノでもなかなかの出費です。教材や文具を落とさず持ち運べるなら何でもよさそうですが、不思議なことに定着した慣習、文化、暗黙の強制です。
麻生氏の幼少の時代は、まだ戦争孤児など日々食べるものにも困っている人が多かったので、学校にカバンを持っていける家庭は恵まれていたのでしょう。
ときどき、昭和の時代を描くドラマや映画で、戦中や戦後の苦しさ、貧しさは描かれますが、日本人は高度経済成長、バブルの時代を経て豊かになりました。しかし、その豊かさは何だかいびつな暗黙の強制、勝ち組にしがみつく自慢大会になっているのかもしれません。
自由主義、人権、多様化といいながら、ランドセルは暗黙のマストとなり、その中で自慢大会があるというのもつまらないところです。
自動車にしても、着物やハカマにしても、大学、マイホームにしても暗黙の強制、消費欲が喚起され豊かなのか、背伸びをしてかえって借金までして苦しくなる時代です。
子育てにお金がかかる、貧しく先の見えない時代でも多子の時代はあったのに、子供を産み育てれば、必ず『そこそこのランドセルを買い』『指定の制服』『部活』『塾』『4年制大学には行かせる』『卒業式にはハカマ』、、マストが多すぎ、いくらでもお金はかかります。