5年ほど前に禅の言葉で【一無位の真人】というのを書きまして↓、書いたことも忘れたほどでちょっと受け売りネタだと思います.
地位も肩書きもやがて無くなる【一無位の真人】 – 天使の星座 禅の言葉 (seizafpkotodama.com)
この時まだ還暦前で60歳定年の勤め人だけを対象にして定年後の同窓会なら社長もヒラも同じと書いています。
言葉の解説は間違いではないですが、その間いろいろ取り巻く環境も変われば、当初の認識が間違っていいた部分もあります。
この5年の間に、何人かの友と別れ、亡くなった者もいます。
5年の間に人間が死ぬ確率は、年齢を重ねるごとにコンスタントに上がります。0.5%~1%とされ200人の同級生がいたら5年の間には5人~10人亡くなっていてもおかしくはない計算です。
それでも良く知った友人ならショックです。
同窓の訃報を耳にすると、多くの同窓生や同期生に会っておかないと、もう会えないかもしれないという気持ちが沸くのもわかります。
しかし、人が人と会い、別れるのは自然なものですから、無理に機会を作る必要はないような気がします。
就職した頃、学生時代の友人やネットワークを大切にしろと、会社のエライ人に言われました。「会社の同期などの友人はどうしてもライバルになり、競争になり負ければ妬みや恨みが生まれる」からだということでした。しかし、この考えは結局、学生までの友人でも似たような感情に陥ってしまう人もいるのです。
同窓会が一部の成功者、出世頭の自慢大会になり、勝ち組の宴となって敬遠されるのはこのためです。
また別の機会に書きますが、 私は高校時代の比較的親しい友人2人は若くして未来を失いました。平たく言えば共通するのは、学生時代まで輝いていた彼らが、社会に出て家業を継ぎ上手くいかなかったのです。友人がどんどん社会人として貫禄を増す格差も絶望を深めたのかとも思います。
同窓や友人として、何もできなかった無力さを痛感します。
じゃあ、同窓会はやめて気心のしれた人物だけで集まって、むしろ大勢で集まらない方がいいのか。それは違います。
社交は良いことです、知らないことを教わり、刺激も受けられます。未来への希望もあります。過去の自慢的回想や現在の自慢は排して、希望を語り合える友情と愛の時間にするのです。
集まるのであれば格差慎重にあつかい、友情、未来への希望をテーマにするのです。
経験としてきた人は同じような失敗をして立ち上がった友人は励ますことができます。自慢ではなく、苦労した点、リカバーにスキルの紹介です。
意外なところに住んでいたとか、同じ趣味や同じ悩みの人間と知れれば、新たにつながることもできます。これは会社の友人ではなかなか親身にできません。
しくじりの失敗や悩み、いら立ちを分け合える友人なら、いつの間にか命を救う役割をはたしているかもしれません。
同窓会は友人の生命を奪うか、活かすかはやり方、関わりのあり方で大きく違うのです。
書評:「同窓会に行けない症候群」(鈴木信行)とは、はて? – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)
勝ち組負け組とは – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)