亡き父を想うあじさいの季節

 あじさいの花が、町のあちこちでも見かける季節。京都の中心部では祇園祭の稽古でお囃子が聞こえてきます。
 晩年父が闘病していた病院が街中にあり、看病に通うときの音色が耳に焼き付いています。
 父も実家の勝手口周りに季節ごとにおりおりの花を並べていました。農家に生まれ、植木や観葉植物が好きだった父が町家のベタンダ、屋上部分を庭のようにして育てて花の時期には階段を往復して入れ替えていたのです。
 父の足腰が衰えると、よく私も手伝わされていました。土がこぼれると階段が汚れて母が嘆いていました。
 父が亡くなると、植木や観葉植物も断捨離され、手入れもされないと枯れていきました。それを整理し、清掃も大変でしたが、母を見舞い実家の勝手口周りを掃除していると、商店街なので多くの方に「ここ花があったのに、無くなってさびしくなりましたね」などと声を掛けられました。
 厄介な道楽のように思われていた花もみんなを和ましているのが良く分かりました。何気に前に出るあじさいの鉢も、狭い家の庭の中でローテーションして出番を誇ってるのです。

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