プロスポーツを観るということ

 何か、少し前までコロナ禍でオリンピックを東京でやるやらんと散々喧々諤々議論があり、結局やって良かったのか、汚職などの負の遺産も残って評価も分かれるところです。

 スポーツを応援して観るという純粋な娯楽としては、新しい競技も増え東京五輪も盛り上がり、パリも始まれば、普段マイナーなスポーツも含めてNIPPON!で盛り上がるのでしょう。
 私はスポーツ観るのは好きですが、プレイを楽しく見るのが好きで、「国だとかひいきが勝てばいいというとか勝たねば!」という勝利至上みたいなガチガチ応援で見るのが好きではありません。
 何かノルマ課せられた営業みたいな姿見せられても、暑苦しくなるだけですから、そうなるとチケットを買ってとか時間を割いて楽しむものではないからです。
 MLBとか、欧州のBIGクラブのサッカーだと見てるだけで、すごいなあというのがスポーツの醍醐味です。国内や学生とかでもこれはと思うビックプレイが時に出ますし懸命な姿もいいです。ィギュアスケート、体操、アーテイストスイミング、スケボーとか本来見て楽しめばいいのに、細かい数値化や審判の主観など政治経済みたいなのが入って、それをハラハラして憤るも何か本質と違うような気がします。
 勝利を目指す、高い技術を競うのは間違いではないのですが、選考クリア、出場、メダルとか勝利ばかり至上にする姿がおかしくなるのです。
 
 ルールやレギュレーションの隙のようなものはどのスポーツにもありますし、審判が故意か偶然か目をつむることもあります。でも、そんなズルのような形で勝ち上がっても、勝っても見ている方はちっとも面白くありません。
 こういうと、そうだなと思う人もあるかもしれませんが、実際には多くのファンやギャラリーは自国やひいきが結果として「勝てばいい」のです。
 サッカーやプロ野球などでも、熱心なファンでもどうもこういう見方ができなくて、勝利至上の応援や贔屓の引き倒しのような、楽しくもない応援になってしまい、お金をかける割に不満ばかりで楽しくない観戦になる人がいます。
 昔は戦争の軍隊のよう、自国の競技を応援していましたし、敗戦後もプロレスなどで、ルールや決まりはどうでもよくて日本人が最後に勝てばいいという観戦が主でした。
 結果だけで満足や不満なら、ニュースアプリで見ているか結果を追えばよいだけです。負ければ不満が溜まり、首脳陣や選手批判でウサ晴らすのが楽しむのような人もいますが、レベルが低い残念さです。
 中には真剣にずぶの素人が、自分が采配した方が上位にいけると信じ切って、なおかつ負けたことに口惜しがっていますから、もはや幼児です。
 相手があるのですから。勝つことも負けることもあるのが競技です。勝ち負けは当たり前に受け容れないとストレスが溜まります。
 比較的ストレスが少ないのが、大谷翔平のメジャーの野球です。大谷が出る前でも時折見られる、スピーディなプレイには驚き、感動するのではないでしょうか。大谷がホームランを打って活躍したらエンゼルスやドジャーズの負けはまあ勝てればいいけど、ほぼどうでもいい、競技を見る姿勢はそれがいいのです。
 海外のメジャーだからではなくて、他のスポーツでもそうです。「どっちも頑張れ」で見る方が楽しいです。


 

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