あこがれたヒーローたちの老い

 現代はストイックな管理とたゆまぬ努力、そしてビジュアルもそなえたアスリート、イチローや大谷はメジャーリーグで記録を乗り換える時代です。
 40年ほどまえのヒーローたちは、ハングリーから、やんちゃな成り上がり、はみ出した叩き上げの人間が多かったです。
 そんな昭和の子供時代に憧れた、ヒーローたち。アスリートやアーティストなんてこじゃれた呼び名も無かったです。
 歌謡曲、フォークソングなどの歌手、ドラマや映画の俳優、野球や相撲、プロレスの名手、強者、、、昭和の子供が憧れたヒーローは時代を経て確実に老い、鬼籍に入る人も増えました。
 野球だと指導者や解説者になり、やがて活舌が悪くなったのかテレビの出番が減ったと思えば、長嶋さん、張本も江夏もクロマティまで車いすの姿で、現役を時代を知る者に少し衝撃を与えました。
 元気ならば、訃報よりも良いのですが、若き現役時代の颯爽とした姿を想うと痛々しく寂しくなるものです。
 
 関西ではアンチ巨人の阪神ファンも多く、双方とも江夏のふてぶてしさは強烈な印象でした。私はパリーグの近鉄ファンで、広島時代に日本シリーズで痛い目に遇いました。

【燃えよ左腕 江夏豊 この本の梗概】中学では「やんちゃな少年同士の決闘が日常茶飯事」で、高校からは「弱い球団で巨人など強い者を倒すことを生きがい」にし、「三振か四球か」ノーコンでカーブもほうれぬままドラフト1位で阪神入団。契約金は「800万円の札束を見てみたかった」と一括現金でもらい、プロに入ると「勝っては繁華街に繰り出し、毎晩お祭り騒ぎ」「もらったらもらった分使って、人よりいいものを食べ、いい服を着て、いい女性と付き合う。これぞプロ野球選手ではないか」。奪三振記録は「取るなら王(貞治)さんしかない」と実行し、甲子園伝統の一戦、巨人・阪神戦では逃げずに真っ向勝負。縦ジマのエースは“最強の敵役”として巨人ファンをも魅了した。南海移籍後は、野村克也監督に「野球界にいっぺん、革命を起こしてみろよ」と言われ、意気に感じてストッパーに転向、これが広島移籍後にあの「江夏の21球」につながったのか。日本ハム移籍後は、複雑な家庭環境で育ったがゆえに大沢啓二監督に「父」を見て奮闘。最後は大リーグに挑戦し引退しました。野球のロマンを追い求め、独得の美学をつらぬき通す男の履歴書。


 今はレールも決まっている感じでこういう人は詣でてこないかな。

 そういう意味では相撲やプロレスは短命なのかと思います。俳優さんは、個人さはあるけどまだ、少し長生きな人もおられます。

 別のジャンルで子供の憧れ(特に男の子)だったのが特撮ヒーローです。昨年3月「帰ってきたウルトラマン」の俳優団次郎さんは亡くなりましたが、初代マン黒部進やセブン森次晃司、仮面ライダー1号藤岡弘、から2号佐々木剛V3宮内洋までのレジェンド俳優は健在です。かなりくたびれた姿でも精いっぱい、変身ポーズをとったりされています。


 今よりは時代を彩るスターやヒーローの数は少なく、多様化しないため誰も知って憧れていた時代。もう少し我々もみんなも頑張ろうと思います。

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