
隣りを歩いて行くやつは
誰もが幸せのぼり坂
ころんでいるのは自分だけ
誰もが心でそう思う
(中島みゆき「成人世代」2番の歌詞より)
若い頃20代後半、30代に入る前だと思います。私は一人の中学高校と同じクラスだった友人を失いました。
学生時代,ずっと私より優秀だったと思います。高校の頃学園祭で一緒に演劇をやり彼は主役をやり切りました。
実家はウチと同じような家業で、長男だった彼もはじめ業界の大手メーカーに就職するようい聞いていましたが、結局事情が変わり大学卒業後すぐに家業を継ぎ新しい支店を任されるのでした。
ドラッグストアも家電量販もコンビニもなく、商店街や町の個人商店がまだ活気にあふれていた頃です。化粧品は定価販売で、家賃や従業員の給料を払っても儲かるケースも多く、同族で出店をして、社長や専務、店長を占めるケースも多かったのです。
それでも、今よりは地域での出店の規制が厳しく、新店の準備には資金も時間もかかりました。
時代はバブル期を迎えるのに、それでも成功する事業とそうでない場合の格差はある意味今以上にありました。
彼の人生は暗転したようです。同窓で就職して会社に入ったものがそろそろ「主任や〇〇長」になるような話を聞く頃、事業に行き詰まった彼は、行き場を失ったのか未来を自ら閉ざしました。
告別式に行った私は読経とともに語られた、彼の短い生涯に目を潤ませ身体が震えました。
確かに、サラリーマンになれば安定した給料があり、保証があり、何年か勤めれば肩書もつきます。でも昭和のこの時代、パワハラを訴えたり、有給を楽に取れた時代でもありません。まして事業を興した者、家業を継いだ者の中には、準風満帆に見えて苦労をしている場合は多いのです。
どんな集まりの中でも、やはり格差への妬みのようなものはあったようです。
久しぶりに同窓の集まりに顔を出すの勇気がいるものです。数人の顔のわかる仲間内でもそうです。
簡単そうに勢いよく回される大きな縄跳びに「さあ入れ」と言われるようなものです。
でも入ってみると、簡単なことですし、誰もが最初はドキドキだったこともわかります。
一人でいると、ついつい誰もが幸せののぼり坂をかけているように見え、転んでとどまっているのが自分だけと思ってしまい勝ちです。でもそんなことはない。友達とは、そんな希望のヒントを与えられる存在かと思います。