
私の母などもよく、「京大に入れるから頭がいい」とかいう他人の評価をしていました。
父母やその上の世代では大学に入る人も少なく、特に女性ではせいぜい女学校でしたから、大学がどういうとこら、どんな試験で入れて何をするのかあまり判っていない畏敬だけなのかと思います。
「あの人は東大を出ている」「お医者さんだから」「霞が関の官僚だから」「司法試験に受かった人だから」「大学教授だから、博士だから」どうもこういう安易なレッテルで人の頭の良しあしが決められる会話を聞きます。
家系がみなお医者さんだから、みんな賢いわけではなく、家業を継ぐために勉強をしたり、準備をしそれに継ぎこんだ結果なのではと思います。家が工務店、農家、飲食店、寺院なら別の準備があるということではと思います。
難関大学の入試や国家資格なども、経済的にそこそこ恵まれていないとそう簡単に準備して受かるものではありません。また記憶容量やその分野での理解力や考察力であって、必ずしも人生を乗り切れる頭の良さとは限りません。
大きな名の通った会社や大学、先生と呼ばれる職業やエラそうな地位を聞かされるとなるほどとは思いますが、だからその人が絶対的に優れているかではないのです。
私は女性の多い会社に入り、当時は学歴的には上でしたが、そんなものは少しも役に立ちません。そして、最近でも錚々たる大学を卒業した人のポンコツぶりも見てきました。今は司法試験合格者、院卒、ロースクール卒、国家公務員キャリアも周りに沢山いて逆に私はカースト下位にいますが、彼らはもちろん優秀なのですが、地頭というのか整理する力、コミニュケーション力がなかったり、気配りがないなど、残念な点も多々あります。
結局、日本で最も難関を突破しても「東大が出たけれど」「司法試験は受かったけれど」「海外留学したけれど」その投資と期待に見合う人生になるか、頭が良いと言えるかはわからないものです。
写真はイギリスの司法制度を学んで帰国された裁判官のお土産です。この人ももちろん優秀です。