79年前の記憶

 太平洋戦争が終わった昭和20年は1945年なので79年前になります。当時、物心ついていた子供でさえ、かなりの高齢になられています。
 原爆投下や、大空襲のあった都市も40年以上過ぎて観光に行けば、その爪痕は施設などでないと分かりません。
 私は京都府、京都市の中心部三条通の堀川に西入3筋目、古都の中心部に生まれ、父母祖父母と同じところに住んでいました。親たちの話なのか、昔はもう少し多かったリアルな戦中、戦後のドラマや映画などの物語の影響か、はたまた前世の記憶なのか、8月のはじめになると明け方に、戦争の夢を見ます。徴兵や訓練、特攻、空襲、飢餓など寝汗をかきそうな現実感のある夢です。
 

 京都は大規模な被害は免れたとはいえ、馬町、西陣、太秦にそれぞれ空襲があり、その後大都市の割に空襲が少なかったのは、原爆の投下の候補地だったとも言われています。
 歴史にも運命にもIFはないのですが、京都に原爆が落ちていたら、私も家族も多くの友人もこの世には生まれていません。そういう面では、僥倖にも生かされて生まれてきた命です。

 戦争反対などというと、左翼的だとかにとらえる方もいますが、右も左もなく、押し流されるのが戦争です。
 太平洋戦争に入る過程を見ていると、当時の国の中枢、世論も含め、思想や国家観以前に運命の翻弄され抗うことなく大波に流されたように見えます。

 国家も人も、失敗に学び、無学を戒め、未来に次世代に良いものを継承していくことです。それが生かされたものの義務だと思います。

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