広島原爆投下から79年、かつて狂気の舞台があった

原爆を落とす日 「いつか、、、」#つかこうへい – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

 3年前につかさんのことも含めてこの舞台、ホンについて書いていました。
 学生時代だから1979年に観た、つか芝居から45年?経っていることにびっくりします。
 風間杜夫さんは、いまどきでいうイケメンで若い女の子にキャーキャー騒がれていました。そういう面では、つかさんの狂気のような芝居の本質が多くの人に受けていたのかどうかは微妙です。風間さんは定番の熱海殺人事件、この後、鎌田行進曲の銀ちゃんも代名詞となりますが、「広島、」の白系ロシア人、ディープ山崎が当たり役であり極めと思った当時の演劇ファンもコアにいます。


 当時原爆投下から34年の経過した戦後だったのです。今、細々とも被爆の恐ろしさなど語り継ごうという人が、激怒するような過激な内容でした。
 マシンガントークと言われた、その一部、愛する女性ひとりのために故郷・広島に自ら原爆を投下し、市民40万人の命の犠牲も止む無しというところまでエスカレートする奇矯な情景は、とても文章では表現できません。歴史を相手に狂気を仕掛けるような、それでもその無謀な中に愛が表現されているのです。
 広島に原爆を落とすに匹敵する愛?物議を醸しても、そんな人間的な表現があればこそ、今日のブログで熱く語り継ぎたい話なのです。
 舞台も、小説も時期などにより、内容、人物設定も変わっています。しかし、差別を乗り越えた愛の力が、40万人の命よりも重いという、逆説的で狂信的な愛は変わりません。そんな狂気があったのだとうろ覚えで語り継がないと思います。
 広島にアメリカが原爆を落としたことは、きれいごとではない深い罪です。だからこそ、それを愛ゆえの行為と芸術化するというつかこうへいの才能はやはり非凡であり、時代を超えて批判を許さない荘厳さがありました。

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