戦争の狂気はどの国にも 書評:保坂正康「日本原爆開発秘録」

 1930年代に天才的な物理学者たちにより、ウラン235の原子核に中性子をあてると、原子核が分裂し、大きなエネルギーを生み出されることを発見しました。これが原子エネルギーにつながりました。
 日本でも戦時下には秘密裡に原爆製造計画が進められていました。それは陸軍による「二号研究」と、海軍による「F号研究」であるといわれています。これらの研究は、アメリカの「マンハッタン計画」と比べ、プルトニウムを使用するという発想が欠けていたということどうだったようです。
 海軍が京大の学者を中心に「F号」、陸軍が東大の学識経験者を中心に「ニ号」をそれぞれ、研究・開発に携わっていたようです。この部門でアメリカの戦略面、予算投入や意欲も含めて、かなうものではなかった。負け惜しみ的な言い訳をすれば、日本人がどこかで人殺しの兵器を作るのに、情熱が強くなかったのかもしれません。
 それでも、毒ガスの人体実験も含め、兵器開発もしていたことに変わりはなく、原爆も間にあわなかったとはいえ、研究を重ね、その研究は原子力を発電に使う方向で継承されていきます。

 広島、長崎で、犠牲者を悲しみ弔い、平和を祈り、戦争の愚行を戒めつつ、世界のどこかでは紛争も絶えません。また、日本も離れた国、近くの国とも、軍事的な緊張と、戦略的な同盟関係を保たないと国際社会の波に乗れないとも言われます。
 原子力は豊かさを産み、かつての戦中、戦後の暮らしとは格段の差の豊かな時代にはなりました。それでも、地震国の日本で、原子力に頼りきることと戦争にまた組する選択が、長い歴史の国が亡びる可能性をはらみます。亡くなっていったご先祖様、先達を弔い、平和と安寧を祈念するのです。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください