量販店に追いやられ衰退した昭和の時代からの商店街。
それを追いやったドラッグストアも時代を席捲していたのはもう十数年前になるのです。今は店は飽和して、過当競争でネット販売にも圧されかつての勢いはありません。
当時、最新のコンセプトで導入された、マッサージなどのカウンセリングのコーナーと、お試し可能なメイクゾーン、セルフ型の什器をずらりと並べた店舗は一見あまり変化がないように見えます。
10年ぶりに見たその店、本部のオペレーション通り並んだ画一的で面白くない店になっています。
10年前にその時も何年かぶりに訪れた時で、競合が近くにでき、小さな地方都市が異様な激戦になって、危機感とともにそれなりに活気がありました。
何より、この店は私にとっても思い出深く、企業のエリアの旗艦店でカウンターパートナーの商談相手がいたのです。好敵手というよりお世話になった取引先であり、その部下たちも含めて仲良くしていた方たちで、担当を離れてからも節目で訪ねていたのでした。
最後に伺ってから10年、やはり時の流れは残酷でした。
店構えは変わらず、レイアウトもそう変わらないのですが。手作り感のあったPOPなど個性はまったくなく、どこにでもあるセルフ型のドラッグストアになっていました。
競合や他の業態、人口の減少、景気の低迷もあるのでしょうし、コロナの波で化粧品も大苦戦はあったでしょう。駐車場を見ればその衰退はわかります、休日の夕方近くで、停まっているクルマは2~3台、かつては休日だと停めるのに苦労をしたあの駐車場がと信じられない様子でした。
店内も従業員は探さないと見つからない。かつてリーダーや、マネージャー。バイヤークラスの社員がいたのに、今やパートさんと従業員(薬剤師や登録販売者)の二人で広い店をツーオペ、かつてスキンケアの診断やお手入れをやった美容ゾーンはカーテンで隠されたままです。
アイデアマンが豊富で、季節感のあった品揃えと、それをアピールするユニークな手作りPOPが所せましだった頃とは、比べようもなく無機質でした。
10分も歩けば東西に大型のモールがあり、またそこに競争があり、その近くにモータリゼーションに置いて行かれたローカル鉄道の駅があります。その駅は100年以上の歴史を持ち、かつては商人の街の発展に寄与し、出征兵士を見送り、今も独自のペースで通学の高校生や観光のお客さんを乗せガタゴトと電車を迎えています。
時代、時の流れは残酷で、元に戻れそうで決して戻れない、思い返すこともつかの間の郷愁に過ぎないのです。