終戦の日、79年後はどうなる?

 終戦から79年、来年は80年ということで8月15日の玉音放送の流れた日が日本では終戦記念日となっています。外国には第二次世界大戦の終結の日は諸説あるようですが、日本人の多くが刻む戦争は多くの空襲や被曝があり、8月15日に敗戦を迎えたというものです。

 日本人の秩序なのか、真面目さなのか、負けたからといって何もかも投げ出して混乱したわけではないとい象徴的な話があります。鉄道アナリストの宮脇俊三さんが、山形県と新潟県を結ぶローカル線の今泉駅で18歳の時、疎開に向かう道のりで父親とその時を迎えました。
 宮脇父子は、坂町行109列車に乗りこみました。この列車は時刻表によれば今泉に13:52着で、5分間停車して13:57発でした。玉音放送から1時間50分近く後の列車で、宮脇は「こんな時でも汽車が走るのか、私は信じられない思いがしていた。」と書いています。
「天皇の放送が終ると、待つほどもなく列車はやってきたのだ」として「昭和二〇年八月一五日正午という、予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通りに走っていたのである」としています。

「女子の改札係が坂町行が来ると告げた。坂町行109列車は入ってきた。
いつもと同じ蒸気機関車が、動輪の間からホームに蒸気を吹きつけながら、何事もなかったかのように進入してきた。機関士も助士も、たしかに乗っていて、いつものように助役からタブレットの輪を受けとっていた。機関士たちは天皇の放送を聞かなかったのだろうか、あの放送は全国民が聞かねばならなかったはず」

 そんな戦争の劇的な時間を乗り越えた、米坂線も今は豪雨災害で復旧されず長く休止しています。多くの出征や復員、戦後の買い出しなどで賑わった鉄道も、モータリゼーションの時代には取り残されてしまったのです。
 鉄道そのもの、貨物輸送、通学も変わりました。デジタル化の波なこの先の80年と言わず50年くらいで、想像を超えて変わるでしょう。

 雄大な川沿いの自然を走ったその列車も役目を終えるとともに、その時代の人も思い出となるのです。

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