東京五輪はコロナの影響で、実施そのものがいろいろ言われ、1年遅れで開催Sれ、それなりの盛り上がりと、その後、誘致に裏金や汚職が表に出て、お金も余分にかかり物議をかもしました。
商業主義の五輪というのは最近始まったことでも無く、囁かれてからもう30年近く経過しています。それでも東京の2回目、今回のパリと何とも違和感のする大会になってきています、
バレーボールや柔道など、ルールやレギュレーションが変わり、スポーツのかなりの部分がショーアップされ過ぎたからでしょうか。
地味だった、卓球やフェンシング、馬術、柔道などもかなり派手な盛り上がりです。そのこと自体は悪いとはいえないはずです。新しい世代のスポーツが採用、普及されてきています。
競技数も増えて、メダルの価値もありがたみも相対的に下がっています。1990年代など、柔道で3つぐらい取るのがやっとの時代が長くありました。陸上などで金メダルをとったらすわ国民栄誉賞かとなった時代です。
いろいろなスポーツへの若者の選択が増え、各スポーツの誘いも上手く取り組み、かつて運動といえば野球、陸上、サッカーぐらいまでだったのが、昔は聞いたことのない競技まで裾野が広がっています。
ただ、そこらに金儲けというのか、ビジネス的な匂いがするのが、私の違和感なのかとも思います。
大規模なコンベンションホールでの見本市のような感じなのです。日頃の練習で鍛えたアスリートの感動の物語とは言え、そこには用具やユニフォームを支援する企業や、直接スポンサーになっている企業、そこからお金が流れる競技団体、その元締め団体、政治家まで切り離すことはできません。
完全にプロではないにしろ、メダルには高額の賞金と、その後のテレビ出演などが約束されます。その発言や行動はやはりお金の流れ、すなわち大人の論理にコントロールされがちです。
アスリートのセカンドキャリアというのも、悪いことではないのです。
かつて金メダルをとってもアマレス選手はメダルを持ち歩いて営業していた時代もあります。テレビ出演で、芸人MCにいじられても、高額ギャラが貰えるならいいでしょう。女性アスリートで美形な方はファッション雑誌などにもモデルとして出ていますし、今回キャスターには元卓球の美人選手が見事に勤め上げて、人気だったようです。
だからこその小さな違和感なのです。
サッカーにW杯でも、この頃のオリンピックでもそうですが、毎回放映権の高騰が騒がれ、その交渉も毎回話題になります。電通などの代理店、NHKや民放連が交渉し、なぜか日本だけが高い放映権料を押し付けられています。その是非はまあ置いといても、IOCにとって、(W杯サッカーだとFIFAにとって)日本がオイシイ商売相手、ぼったくれる相手になっていてそれがエスカレートしているのも毎回の金額の高騰で分かります。負担は結局、電通経由、スポンサー企業の商品価格から国民なのですから、テレビ局はスポンサーともどもオリンピック盛り上げに必死です。コロナ禍の東京五輪を何が何でもやりぬいたスタンスもここからです。
そう、やはり一番の違和感は日本が多く出場し、メダルを多く取っていることですね。別に不正だとか八百長とかではなく、レギュレーションの問題とか、試合開始時間、会場、小さな忖度です。
これは日本だけが有利というのではなく、審判も含めてもちろん地元が一番有利ですし、高いお金で放映権を買う欧米、あるいは人口も増えたインドやブラジルなども優遇されてきているそうです。
地元や日本にしろ相手がありそれぞれ真剣で必死ですから、人気競技でも負けることも多いのでエビデンスは難しい個人の感想、違和感です。スキーや球技は欧米の都合で日本の不利に改正されていると反証もあるでしょうが、日本に都合の良い忖度はあまり日本では問題になりません。
柔道の団体競技、男女混合団体などは伝統も何もないショー的なもので、本来の武道とかけ離れてきています。
同じくショーアップされたフェンシングと対比され、日本の中で孤塁ともいうべき伝統を守っている剣道、あるいは合気道とかの方が、立派だとつぶやかれています。
これまで書いた小さな違和感、忖度が、スポーツを薄っぺらいものにしている気はします。