廃止された鉄道、未来の鉄道

 先日、三次駅で、接続待ちがあったので、レンタサイクルを借りて三江線の廃線跡を少しだけ見ました。
 昭和に廃止され、遺構を探すのも難しい廃線跡散策もしています。しかし、つい数年前2018年(平成30年)に廃止された三江線は108キロにもわたる路線なので、見つけやすいです。もちろん江の川沿いに延々と続くその路線の全貌を訪ねるのはおいそれとは行かないです。
 三次駅近辺の尾関山駅まででしたが、町の人は今まであった駅がなくなってどういう思いでこの遺構を見ているのでしょうか。ほんの一部はサイクルトロッコのようなもので走れますが、山間のトンネルや鉄橋は放置されたままでしょう。
 昭和5年の部分開業から、工事も遅れ昭和60年の開業で、令和を迎えることなくモータリゼーションの波に負けたその姿は哀愁をおびています。江の川に沿ってうねうね迂回しながら100キロの区間を3時間以上かけて走るのですから、ドアツードアのクルマに勝てるはずがありません。芸備線で広島から三次経由山陰本線の浜田までを急行があったとして4,5時間かかるとなると、バスやクルマの倍かかり、片道だけで1日仕事であり、酔狂な人でないと乗らないものでした。
 それでも、廃止となると、惜しむ人いわゆる葬式鉄で賑わいました。それから数年、今はひっそりと、観光案内所に冊子があり遺構を紹介していました。
 北陸新幹線延伸が敦賀以降はいつになるかどこを通るか話題になっていますし、おりしも南海トラフ地震や台風で東海道新幹線の運休で代替ルートも問題になっています。かつて、三江線も新設工事中は、江の川をそこまで迂回せず長大トンネルで射貫く案もあったそうです。この時も、工法の未熟さや、予算、環境面などで、地元の猛反対があって実現しなかったようです。全線108キロと書きましたが、直線距離では60キロ程度で、あとからできた高速道路の方が設備面でも距離面でも優れているのも明白でした。全線開通した昭和末期にはすでにクルマの時代に入り、自然災害での被災で不通、復旧を繰り返す悲運が続き、長大路線ながらついに全線廃線となってしまったのです。
 

 リニアができ、北陸新幹線が全通できる頃、中四国、山陰地方はどうなっているでしょう。北陸との格差は大きくなっていきますし、山陰新幹線、四国新幹線はさらに先で現実のものとは思えません。

 北陸新幹線は山陰や四国への新幹線へのステップだとする主張もあります。与党政治家の中には小浜ルートから山陰への分岐、新大阪からは関空経由、淡路島、鳴門を経て四国新幹線を作れば、リニアで結ばれた新大阪を中心に北陸、山陰、山陽、四国が一体となって発展する国土軸ができる。もしそれが本当なら田中角栄以来の強い主張で、そこをわかりやすく説明すべきです。

 しかし、時間はかかれどもトンネルで一気に駆け抜ける新幹線より、長閑な田園や清流を見ながら走る鉄道にこそ移動の楽しみがあるのも捨て難いものです。
 三江線の橋梁やトンネルが再利用される未來はないのです。

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