漫才、芸人さんで好感度が長年トップに君臨するのがサンドイッチマンの二人です。人気が出れば、冠番組で若手をいじるだけの人が多い中、漫才をやり続けるのも好感ですし、東北出身の二人、素朴で優しい人柄や、ネタやトーク、活動にもよく出ています。
最近はお笑いとか、歌手、俳優もどんどん新しい人が出て、M-1で優勝したといっても毎年王者が出てくるわけで、朝ドラも毎年主演の人気俳優を産みだすので、ちょっと見逃してると誰が誰だかわからないで、「最近のお笑いは分からない」「アイドル女優は誰かわからない」になってしまいます。
十数年人気を維持する人はそういないです。サンドイッチマンやナイツの漫才は芸も確かだし、人をそれほど傷つけない内容もあるでしょう。
お笑いは他人を虐めたり、不幸やズレを笑うのが手っ取り早いのですが、それは嫌われるような毒素もあります。サンドイッチマンは誰でも理解できるわかりやすさがあるのですが、うまく予測を裏切るところがあるのです。笑いというのは、発想が標準から大きくはみ出してしまうと、一部の人に深く刺さる代わりに、多くの人には理解されにくくなってしまう。一方、誰もが理解できる範囲を狙おうとすると、「平凡で面白くない」となり難しいものです。
そこらを予定調和で安心させて面白く思わせるのは、実は人柄や謙虚さです。
この辺は、サンドイッチマンの登場の自己紹介で長年使っていた「サンドイッチマン伊達です、富澤です。名前だけでも憶えて帰ってください」というスタンスは、謙虚で好感をジワジワと高めていました。
M-1王者とは言え、毎年若手芸人もどんどん後からでますし、実際に顔と名前がわかるのはよくお笑いを見ている人だけです。たまに見たテレビなどに知らない芸人がいきなり定番ギャグを披露して、観客は爆笑していても「こいつらって、誰?何が面白いねん」になってしまいます。謙虚に丁寧に挨拶し、名前を知ってもらう姿勢はどんなビジネス、社会でも同じです。
オレだ、俺様のことなんか、みんな有名で知ってるだろうというような登場の仕方、舞台とか内容の在り方といのうのは、自信家であればあるほどやりがちで、結局はフォローする人も増えないで、いつの間にか周りに人が少なくなる傾向はあります。友達限定のSNSなども、自己紹介とまではいかずとも、自慢投稿になりがちですが、丁寧な説明とか、事情の紹介など謙虚さは好感につながります。
謙虚さ、大切にしたいものです。