貨物列車博物館に始まり、九州鉄道記念館、芸備線と周り、最後は長浜鉄道スクエアで〆ました。
ちょっと昔の周遊券を思い出し、有人駅では下車印をお願いすることに拘ってみました。最近の切符は表面の紙質がつるつるで、一度乾いてもまた汗などでにじみやすいですが、それでも記念になります。
こればかりはデジタル化すると無理ですからアナログ切符の今のうちの記念です。
もう下車印を知らない駅員さんがいるかともいましたが、さすがにそれは無かったです。
備後落合駅は、駅員さんはいたのですが、「当駅には下車印はもうない、駅スタンプなどでお楽しみください。申し訳ない」と謝られ、恐縮しました。
こんな小さなハンコですが、青春18切符をはじめ紙の切符がなくなれば、使用する機会そのものも全くなくなるでしょう。それ以前に駅員がいない駅も増えていきます。
よく準備運動をして、時折乗車中に身体を動かせば元気です。何となく最近年齢を経て、普通車のクロスシートぐらいなら平気で本を読み続けて、眠ることも可能になりました。普通車に一日乗ってるなんて大変と言われますがそうでもありません。
ただ私より体の大きな人や、血のめぐりの悪い人は、普通車に乗り続けるのかキツイのかもしれません。
新幹線や新快速と比べて特に思うのはやはり、優等列車が通過する駅にも街があり、家があり、名所もあるので、通り過ぎるのは失礼だなあということです。モータリゼーションの時代とは言え、人が歩いていてはJRの駅を一つ二つ分歩くのでも大変な難行です。
新快速や新幹線、飛行機や高速道路であっという間に移動するのも旅ですが、移動そのものを楽しむのは鈍行、各駅停車だと改めて思うのです。
人生だってそうです。生まれも育ちも良く、才能もあってあっという間にキャリアで出世しても、普通の人の一人一人の心が少しも分からないうちに老いていくのは、もったいないことなのです。