北陸新幹線が今年3月ようやく敦賀まで延伸されましたが、大阪まではルートがなかなか確定せずに、小浜から京都駅周辺と具体的になっても、米原案が浮かび上がったりしていますが、リニアともども大阪までいったいいつできるのかもわかりません。
全国に新幹線網をと「日本列島改造論」で唱え、公約した1972年に総理大臣となった田中角栄、日本の高度経済成長を支え、地方への交通網を大胆に広げました。日中国交正常化はじめ、さまざまな政策を実現しましたが、1974年金脈を追求され辞任に追い込まれます。1976年にはロッキード事件で逮捕されました。1983年は実刑判決をうけた後、衆院解散でなお圧倒的な得票で当選したその年です。
この演説で、感心したことがいくつかあります。
やはり、演説としてのパワー、求心力が違います。を集めは
キャリアを見ても、自民党が創生した政治家だということもありますが、学歴でもなく仲間を当時の派閥(佐藤派)から一気呵成に独立し権力を奪った野心はすごいです。
そして、国民を想い、地元民から愛される、地方にかける思いは。東京主体で、首都圏でなにもかも決めまかなう今と違うことを痛切に感じます。地元に明治時代からの、生き方があり、産業があり生活があることが熱く長く語られます。
だからこそ、地方に新幹線や高速道路が必要なことが良く分かります。この前年1982年に東北と上越の新幹線が出来ます。しかし、それ以降ここでルートまで語られ、昭和70年?1995年大阪まで開業するとされた新幹線は国鉄の事情もあり、それから30年も長く日を見ませんでした。当時も新潟の西部を通り、富山、金沢、福井と繋ぎ、小浜からの大阪、米原からの名古屋も一気に今の北陸新幹線案を進めるような話でした。
環境問題も騒がれない時代で、国鉄は大赤字でも進めるつもりだったという無茶な前提で、田中失脚以前に無理も多かったのでしょう。
それでも、夢を語り、地方や国民の心に響く、今の自民党総裁選にない言葉が多くありました。