不安定な天気で蒸し暑さは続きながらも、私の住む京都市右京区、太秦の地は、幸い秋の収穫時期を迎えています。
市の真ん中の中京に住んでいた私から見れば、右京は子供の頃は田舎で、田んぼや畑ばかりだったところを、京福電車(嵐電)、西院本線、丸太町通りが嵐山に向け走っていました。今は住宅が増え、マンションや店も増えて、田んぼは片隅に追いやられた感じなのです。地下鉄の始発駅近くで、周りは住宅ばかりですが、少し歩くと昔ながらの田畑も点在します。
狭いながらも、実りの様相が見られると、安心できる反面、ニュースで映る収穫前に大雨で流された能登半島の悲惨な光景を見ると心が痛むます。
元旦の大地震から復興の途中なのに、その作業現場や仮設住宅をも豪雨が襲い、地震の時同等かそれ以上の悲劇に見舞われました。倒木やがれきの激しい濁流の光景は、東日本大震災のトラウマがよみがえるほどの凄まじいものでした。
石川県能登は日本地図でも、北に突出した見つけやすい半島です。この地域に線状降水帯が、観測史上最大級の雨が続いたわけです。石川県は加賀地方と能登で旧国名も違い、気候も風土も変わります。地震の被害も加賀はそれほどなく、富山、福井と変わらない程度だったのです。能登地方の地形、地勢的な悲劇かもしれません。
戦後、高度計成長期、バブル期を経て、東京の一極集中は進み、地方との格差はどんどん大きくなりました。地方にも道路やインフラは整備されているだろうと言われるかもしれませんが、東北や北海道はじめ、各都道府県の中でも県庁や中心都市と、閑散地では大きな差ができています。新幹線や主要鉄道網が整備されているところから外れると、不便なローカル線やバス、それすらもないところが、ほとんどです、クルマ社会なのでしょうが、全ての人がクルマの利便を活用できるわけでもありません。
今年、福井県敦賀まで延伸した北陸新幹線もかつては長野まででしたが、2015年に金沢延伸で、一躍北陸が注目され、東京との行き来が激増しました。それでも能登地方の観光が劇的に増えて、潤ったわけではなかったのです。今回被災した珠洲市田古島、輪島市へ通じていたのと鉄道の2路線はそれぞれ2005年までに廃止されています。赤字で、いろいろ問題も抱えていましたが、北陸新幹線金沢延伸すら待たずに能登の北側は鉄道空白となり、見捨てられていたのです。
整備新幹線で潤うのは、そこに駅がある地方の主要都市とそこにアクセスしよい観光地だけという課題は浮き彫りになっていました。ローカル鉄道は、JRからも切り捨てられ、第三セクターとして地元自治体に押し付けられます。新幹線を利用しないような町の人は高い料金で不便なダイヤになり、さらに赤字は膨らみました。
それでも、災害がなければ、長閑な田舎として、看過されていたのでしょう。
復興もなかなか進まぬ中に起きた重なる悲劇、切り捨てられない地方との格差是正、地方創生という大きな課題に、国は逃げずに取り組んで欲しい