昭和60年から約2年半、広島県に転勤して働いていました。広島県には広島市以外にも福山と呉に会社の拠点がありました。今で考えられないきめ細かい拠点施策の一貫です。呉に赴任した時は、今よりもさびれた港と造船の町だと感じました。アニメや、大和ミュージアムもまだなく、観光資源に乏しい上、造船の低迷で街の構えは広いのですが、全体的には活気のない感じでした。
それでも、海が近いというだけで自然は豊かでした。今は呉市に合併された江田島や音戸島、倉橋島、能見島なども車で回りました。仕事がきついですが、竹原までの呉線沿線も営業エリアで、瀬戸内に海と山が迫ったおっとりとした風景は和みました。
Nさんという細身で非常に色っぽい感じの部下がいました。取引先の社長さんが少し執着気味になるほど、美人でした。
私はこの時、独身でしたが別の人に恋していました。どことなく薄幸で近づき難い感じでNさんはそれほど意識したことはありませんでした。
ある日、Nさんのお父さんが亡くなったということで、上司と香典を持って実家のある安芸津町という港町に向かいました。
Nさんの都会的なイメージとはかけ離れた田舎の町、坂の多い狭い道に、小さな家がへばりつくように建っていました。
迎えてくれた、やつれたようなNさんの喪服姿は別人のようでした。
喪服姿が美しいとかそういうのではなく、怖さと憐れさが勝っていました。この狭い家の、残された母親と、周りをとりまく何ともいえない閉塞感、重さのようなものに上司とともに圧倒される感じで、気分が重くなりました。
静かな瀬戸の海は凪を迎えていました。日本にもこういう光景があるのかと、「砂の器」の映画を何となく思い出しました。安芸津町は今は、内陸の東広島市に合併されています。山陽線と呉線の山側、海側が平成の合併で一緒にされたのは違和感です。
あの情景は今も残っているのでしょう。