袴田さん再審 ひどすぎる検察危ない国

 高齢化社会とはいえ、多くの人が生まれていないか、物心つくかつかないかの60年近く前からの長きに渡りを、冤罪でその身を拘束されていたという事件がありました。

 ようやく、先日無罪が確定したとはいえ、事実の争いは別にして、人生の大部分の厖大な時間を奪われた無念、理不尽ははかりしれないものと想像します。証拠や捜査方法に問題がある中で、長い間無実の罪を背負っていたことは、司法制度に対する疑問を投げかけています。 冤罪を防ぐためには、証拠の取り扱いや再審請求のプロセスを見直す必要があると言われています。

 警察や検察が一度逮捕して、罪に問うたものを弁護士を立てて争うという案件は、まれと思われがちですが、決して遠い国の話ではありません。友人知人にも皆無ではなく、日本の日常にむしろありがちな話です。警察や検察は国家の秩序や、治安のため、法律に照らして正義の名の元に仕事をしています。これは大部分で良い仕事ですが、時には間違うこともあります。裁判官も、検察と弁護側の言い分をしっかり判断しないといけないのですが、どうも警察に逮捕された時点で、重いハンデを背負うようなのが被告側です。
 どんなに体制側だった人でも、官僚、役人や政治家も、時にスキャンダルのように貶められそれが冤罪だったケースはあります。体制派や保守のはずの立場の人でも、いざ家族が逮捕されれば、時に冤罪を訴えて弁護士会などとデモで呼びかけていきたくなります。ましてや刑事事件で死刑判決ともなれば、生命に関わる一刻を争うものです。

 再審で極刑が見直され、「無罪」になった人は過去に4人。免田、財田川、松山、島田の4事件で「四大死刑冤罪事件」とも呼ばれています。今回、袴田さんがこれに加わった形です。

 冤罪かどうかは、自白や証拠だけで断定して、死刑を執行してしまえば、取り返しはつきません。被害者遺族はよく極刑に拘る気持ちになられますが、極刑を終身刑にして死刑よりも重い反省の罰を与え続ければ、万一の冤罪でも死刑執行も防げるのにと思います。

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