衆院選挙の時、おまけのような形で✕をつけるかどうかという、アレは何か意味が分からないという話を聞きます。 最高裁判所裁判官の国民審査ですね。
三権のひとつ、「司法」の「結論」は最高裁判所が示します。ほかの裁判所が異なる判断をすることは事実上できません。国の法律が憲法に違反していないか、行政の対応に問題がないかを審査する役割もあります。こうした強い権限を持つ裁判官たちがそれにふさわしいかどうか、私たちが投票という形で審査し、結果によっては辞めさせられる制度が、憲法で定められた国民審査です。 今回は15人中、6人が審査対象です。
対象は最高裁に就任してから一度も国民審査を受けていない、または審査から10年以上経った裁判官ですが、今回の審査は前回の衆院選の後に就任した6人だけが対象です。
戦後にこの制度ができて以来、罷免された裁判官は1人もいません。これまでで「×」の割合が最も多かったのは、1972年に審査を受けた下田武三裁判官の15.17%でした。最近は10%を下回っています。
「制度の意義の周知や判断材料になる情報が少なく、形骸化している」という指摘もあります。
しかし、司法の立場の独立性を考えると、三権の中で行政と立法は同じ国会議員のトップが与党として君臨して権力を重ねていることを思うと、簡単には罷免できない方がいいとは思います。形式的でも、国民の審査を経た裁判官だということで、判例や経歴を国民が目を通し、司法に少し目を向けることに意義はあると思います。
裁判所に全く問題がないとは言いいませんが、むしろ今国民から法曹界を見た場合、検察や弁護士の方に問題は多いと思います。検察は警察権力とも結びつき、いわゆる冤罪など特捜部の暴走が絶えません。検察人事が最終的には行政の長が握りますから、政治の力と結びついています。
弁護士は国家資格を持った民間の士業ですから、儲けに走るのは仕方のないところです。しかしドラマほど正義感にあふれた人は少ないし、むしろ悪人が多いのも構造に問題がありそうなところです。弁護士の不祥事での罷免は毎年かなりの数になります。
裁判官も、検察官、弁護士も司法試験を通った優秀な人間ですが、全てにおいて人間として優れているわけではありません。
大事な仕事だからこそ「審査」は必要なのです。