
本日は選挙の日です。日曜日でお出かけとか、仕事の方で期日前投票を済まされた方、まだの方も投票は国民の権利です。
勤めの関係で、私は今回はどうしても衆議院よりは最高裁の裁判官の経歴などの公報に眼が行きます。
組織上の最上位職で、事務型決済や俸給の支給、任命権者ですので、✕をつけてもいい権利があるのは不思議な感覚です。
私の生まれた頃、60年安保などの時代は、まだまだ戦後で新憲法下の普通選挙で拡大されて得られた権利に対して多くの国民が熱く政治に対する期待を込めて投票に向かったのでしょう。今のほぼ倍の70%だの80%だのという投票率で、国の命運がかかる一大行事だったのです。
今は18歳までに拡大された選挙権のある若者にも呼びかけ、投票済の証明を持っていけば、飲食店やレジャー施設の優待をアピールしたりもしている「せんきょ割」もしているところもあるのですが、そもそもの関心が低いのです。若者の政治離れと言われ久しく、決定打ともいえるものはありません。
投票済証でさえ、発行しない自治体もあり、現体制が投票率を上げて、政治への関心を高めたいのか、目先の選挙に勝つには関心を持たずに「寝ていて欲しい」のかわからないところです。
石原慎太郎氏は、若い議員の頃、青嵐会という組織で自民党内で「選挙権を18歳に下げる」提言の集会をしようとしたとき、幹事長だった後の首相田中角栄に「ばかもん!そんなもの25歳でもええくらいだ」と一喝されたそうです。後日になって石原氏は「今思うと角さんの言う通り」投票率上げるには25歳や30歳でもいいと若者をバッサリ切り捨てています。
政策が将来に向けての国の全体像だと本来は若者に今以上に政治参画してもらわないといけないと、一方ではあり、賛否はある話でしょうが、単純に投票率を上げるには別に年齢の公平なバラつきに配慮せずとも、投票率の高い世代だけに選挙権を与えればというのは面白い話です。
AIでできるような政治判断や改革は議員や秘書にやらさなくとも進むのに、このままでは本当にどうなることやら。