運転手というと、やや職業差別的な響きがあります。
政治家や資産家、貴族、そのご令嬢などが、名前で呼び捨てにしてお抱えの運転手を仕えさせているような光景を、ドラマや映画でも見ます。
昔タクシー運転手が昔のある有名な芸人に「お前、駕籠かきの分際で」と今では発言だけで大問題になるようなことを言われ暴力を振るわれたこともあります。今でもサービス業とは言え、お客様に従順を原則にしたハードな仕事です。
バスの運転手というのは、少し乱暴でワイルドな感じの職業でした。ワンマン化でストレスも増える一方、良い運転手も要れば、公共交通で公務員体形の給与の割には、あまり熱心に働いていない人もいました。
先日観た映画、「つぎとまります」いわゆる女性のお仕事チャレンジ的な映画でしたが、バス業界の人材不足の対策への一興でもあるのでしょう。
私の住む京都市もかつては。市バス運転手に年収1000万とかがいて、経営破綻寸前で市財政赤字、交通局が占める割合も大きく、大バッシングが起っていました。
写真の通り、市交通局は1000万年収の運転手はいないと否定に躍起でした。しかしコロナ後にインバウンドがさらに拡大して、バスを増便しようにも、維持していくのさえ、今度は運転手が不足してしまいました。女性むけに職場環境を改善するなど待遇をアピールして幅広く求人していますが、なかなか厳しい状況のようです。
私も鉄道の方でいろいろ公共交通の情報を得ていますが、よく赤字ローカル線の廃止、バス転換の話題が出ます。ところが今、全国どこの交通局、バス会社も運転手不足で、そう簡単に路線を増やされても引き受けられないのです。
同映画では、子供の頃、バスで越境遠距離通学していた時、乗り過ごして、優しいバス運転手に助けられ、将来運転手になりたいと思っていたヒロインが夢を実現させるのですが、現実にはそういう人材がたくさんいるとは到底思えません。
運賃精算のカード化や、バスの安全性は向上しているものの、運転手は責任や仕事の割には、収入やステータスが高くありません。
世の中にはキツイ仕事だから高給にはならない構図はあります。しかし、公共交通に仕事は外国人や教育を受けてない人、思いやりの無い人に一朝一夕で任せられるものではありません。運転手や公共事業を支える仕事は、土台からもう少し、日本人の就職先として安定してやりがいのある使命のある仕事だという意識が広がらないと、国の屋台骨が崩れるのではと思います。いい仕事をする人に1000万円ぐりいあげてもいいでしょう。