名古屋にいたのは、30代の前半の3年ほどで平成2年から5年の間で、当時の記憶がそれほど鮮明ではありません。
その後も何度か通過、経由はもちろん、文化施設やイベントも含め訪れてはいますが、それほどゆっくり街を見ていません。まして、昔の会社時代は、歴史や文化もそう興味もなく、仕事をして飲んで食べて寝るだけでした。
当時、主力だったアマノ薬品グループ、名古屋駅地下入り口の一等地でまだ、同じ位置(たぶん)で頑張っておられます、もっと狭い感じで、奥の事務所に入って店長と商談していました。30年以上前になります。
名古屋から転勤してからも、早朝の移動経由時に、一度元部下の美容部員に会いましたが、さすがにもうみんな顔を知る人も当たり前にいないです。辞める直前のイオンなどのカネボウ、ソフィーナでももうだいぶ入れ替わってる経年ですからね、店も当時から何回も改装され、大手の合従提携もあるのでしょう。
地下鉄は、だいぶ迷いました。昔は桜通線の名駅から一つ目の国際センター前最寄に会社があり、一つ東の丸の内で鶴舞線に乗り換えて、住んでいた独身寮のある庄内通まで載っていました。仕事でこのアマノの店舗に行くとか、会社帰りに名古屋駅に行く時は徒歩でユニモールという地下街を雨でも濡れずに歩いて行きました。この辺のハードはあまり変わっていあM線が、駅前はJRのドデカイビルが建つなど、印象はだいぶ変わりました。
そして地下鉄も、当時は桜通線が最新の深い構造のもので、市域全体の営業キロも短く、当時京都の地下鉄が烏丸線だけだったのよりはそれでも長いですが、平成の半ばぐらいにかけどんどん延伸していき、2号線、4号線と言われていた路線が環状線になり、名城線となっていて、全国でも珍しい右回り、左回りと呼ばれています。JRに山手線など環状路線はいくつかありますが、内回り外回りと表記され、どっちが外なんかわかりにくいから、これは親切とも言えます。ちなみに日本の鉄道は左側通行なので、基本右回り(時計回り)が外回り、反対が内回りです。
市電の古い車両を集めた、レトロでんしゃ感(市電資料館)に行きましたが、各地と同じく、昭和30年代の後半をピークに、昭和50年までにはどんどん各地の公営路面電車が、クルマに押され、地下鉄に置き換えられています。
しかし、京都や、神戸、横浜などは都市の面積や、地形などもあるのですが、地下鉄網が中途半端です、名古屋の公営交通が素晴らしいとも言い切れませんが、京都のしょぼい路線と、それを作るのに大赤字になったあたりは、地下鉄も経営はどこもしんどいでしょう。名鉄、近鉄、関西の京阪や阪急などの地下駅や路線に比べ、駅や施設、車両にはそんなにお金がかけられないのが公共交通の難しいところです。大阪の合理化、改革されたメトロをみていると、トイレもキレイで、民営化で切り詰めて良くなっている気がします。
そして、今回のメインの歴史文化散歩は、名古屋市制資料館。法曹界テーマの朝ドラ「虎に翼」のロケ地にもなった、大正時代のバロック建築、旧の控訴院、地方裁判所です。
赤レンガ外壁、大理石の壁、ステンドグラスの窓、広いエントランスと階段などよくこんな建物が戦災を逃れ、公共施設として未だに残っているなと思いました。
もちろん、独身時代の30年前にもあったのでしょうが、行ったことありませんでした。
新幹線だと40分、在来線やバスで2時間あまり、関西からまあ近くて遠い大都市名古屋のプチ感傷旅行でした。