美しい歌声とルッキズム

 最近もいろいろ投稿などを見て、どこの社会でも,報道などの言葉使いや処遇で差別するルッキズムを問題にしながら、それを報道するアナウンサーやキャスターが飛びぬけて整った美人なのに矛盾を感じます。

 私の元同僚、後輩や同窓生にもルッキズムを肯定して、「美人の経済効果」などの不適切な珍説を唱える人もいました。

 化粧品会社で未だに採用や登用に、女性であること、化粧はおろか整形などと「あざとさも」含め、女性を武器にして成功してきた人はよく見てきています。外見で、本当にその人が生涯幸せかどうかは別問題かもしれません。

 最近、今売れている歌よりも動画などで、路上ライブを見るのに少しハマっています。何人か推しの人がいて、声が済んでキレイなのですが、ルックスもまたそこそこなのも、不思議な共通点です。
 やはり、路上で一生懸命に女性が歌っていて推したくなるには、そこそこの外見がいいのに越したことはないのでしょうか。
 それにしても、紅白のメンバーや歌のリストを見ても、もう何時間もみたいとも思わなくなりました。この歌手を知らないとか、今年流行った歌を知るとかとはもう別次元に紅白はもう存在理由がないというのか、公共料金を使って、ドラマの番宣のようなバラエティーはいらないです。
 テレビに出ている歌手や芸人、もちろんこれから旬の若い人もいますが、大きな番組になればなるほど、旬を過ぎても大金を稼ぐ大物が出張りだして、冷めて見ると面白くないのです。

 会社とか世の中が、そういう感じで、外見だけで中身が伴わないものが出世しても最後はうまくいかないのです。WINーWINどころか、WINーLOSE以下、LOSE-LOSEの関係になってしまいます。

 大阪勤めの仕事帰りの寒い夜、梅田なんかで何気に歌っていた美しい歌声の女性がいたけど、どうしているのかなとは思います。

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