
ある場所、とあるブックカフェで、久しぶりに筒井康隆さんの本を手にして、その内容の面白さ、先見性、普遍性に驚き、いろいろ読み返したくなりました。
読書というもの、本の世界は奥が深いとういうか、新しい作家もどんどん出る中、読み返したくなる作家がいるとは、本当に驚きで、もう生きている時間がいくらあっても足りないとしか思えません。
日本のSFを切り開いたと言われる、SF御三家の一人でただ一人ご存命です。星新一、小松左京の残りお二人は既に亡くなられました。普遍的な世界を築きあげたショートショートの星さん、幅広い知識で、社会的な内容や、未来の警鐘などをテーマに重厚な作品を生んだ小松さんに比べ、筒井康隆の作品はスラップスティックコメディで、軽薄でブラック、エログロで、個性は強いものの、早晩消えるかもと言われていました。
そんな筒井さんですが、しだいに、メタフィクション的な作風も書かれ、ミステリや歴史、純文学、ジョブナイルと幅広い作品を世に問い、押しも押されぬ大家、重鎮となって齢90歳を超えてもその評価は下がりません。
星さんの、ショートショートの設定がエヌ氏など時代も国も抽象的でいつの時代でも楽しめる出来なのに対し、筒井さんのはその時代ポッキリな印象があったのですが、今見ていると普遍的であり、40年も前から今を予見していたような作品が多いことに驚きます。
サムネの「最後の喫煙者」1987年の創作で、1980年代からそろそろと禁煙の運動とかは始まっていましたが、まだまだこの時代、職場でも愛煙家の居場所はあり、仕事しながらプカプカも当たり前でした。
この作品では地球上で『最後の喫煙者』になった「おれ」小説家が、それまでに起きた嫌煙権運動を振り返る設定になっています。『健康ファシズム』と評され、愛煙家・喫煙者差別が、煙草屋が村八分にされ、魔女狩りレベルの排斥運動となって大きな騒動となりヒステリックに過激化していく様子を、主人公である小説家の視点から面白おかしく描いています。完璧に現代とマッチはしていないかもしれませんが、何かあると過激なまでに排斥したがる人権派的なエセ正義の描かれ方は、まさに現代を皮肉っています。

今回目にした、「旅のラゴス」という連作からなる長編の作品も、同年代に書かれたのですが、全く中身は色褪せない内容で、発売後も何年経ってもジワジワ売れ続け、20年くらいたって再ブレイクしたという珍しい経緯の作品です。
高度な文明を持っていた黄色い星を脱出した1000人の移住者が「この地」に着きます。人々は機械を直す術を持たず、文明はわずか数年で原始に逆戻りしていまします。その代償として超自然的能力を獲得しました。それから2200年余り経った時代、主人公の「おれ」ラゴスは一生をかけて「この地」のいろいろな場所を旅していきます。超能力で事件が起こる街をその知恵と人柄でラゴスが乗り切り旅を続けます。
筒井康隆の「おれ」は正統派の一人称小説で、フェアで美しい小説だと思います。多くの小説が3人称で、視点がぶれ、ご都合で独白する人間まで変わりすぎる叙述が多い昨今では純文学以外で珍しいです。
何周も回る人生を生きる作家さんの作品を読み通すにはやはり一度の人生では足りないような気がします。