
中居正広の問題に端を発したフジテレビ問題は、同社の経営改革、マスコミ改革にまで広がっています。
ネットでは中居正広の被害にあった【上納】されたフジテレビの女性アナウンサーがより具体的な被害内容が複数あがっています。
今回のスキャンダルでは、女子アナの被害者としての側面ばかりがクローズアップされました。そんな中、私もいくつか、投稿した中で随分いろんなリアクション、炎上に近いご批判を頂いたものがあります。フジテレビの女子アナカレンダーの表紙を、現在放映の大河ドラマの蔦屋重三郎を描いた「べらぼう」の吉原花魁の「細見」や「錦絵」と揶揄して、江戸のメディア王が現代のメディアをどう思うかなと、疑問形で投げかけたものです。
おそらく女子アナの中には『玉の輿』に乗ることを目論んで、例えば売り出し中のプロ野球選手らをターゲットに、自ら積極的なアプローチを仕掛ける者が少なくないのが現実です。
もちろん多くの女子アナは真面目に職務に励んでいると思いますが、大谷翔平選手とそのご両親の結婚NGリストには女子アナ、女優が入っていました。その心理の中には『あざとい女子アナに引っかかってつまずきたくない』との強い思いがあったのではないでしょうか
大河ドラマでは、当時の花魁が華やかに描かれる部分もあれば、身売りされたり、貧しく食事も満足にできず病死していく場面もありました。
そのような時代と比べれば、いくら少々接待まがいの強要があったとしても、売れっ子アイドルで芸能人なみの容姿で20代で1000万も2000万も稼ぐ人がいる現代の女性アナウンサーは恵まれていると感じました。
ところが、これに対して賛同もあった中で、「フジテレビの問題で大河ドラマと関係ない」「女子アナの人権侵害」とか、「不適切な投稿を面白半分にするな」という真面目くさったご意見がけっこうありました。
頭が硬いというか、想像力のかけらもないようなご意見で、まともに反論する気にもなりませんでした。この提起に対して、私が現在のルッキズム重視で選ばれて、高収入を得ている女性に対して、個人的な私怨や嫉妬を抱いたり、今さら顔をさらしてどうこうしようとかの意図ではないに決まっています。
そういったルッキズム優先の社会構造への賛否に至らない批判には辟易します。
もちろん、人権や所得格差など現代と江戸時代を比べるのは、難しい面もありますが、そこはドラマも平安時代であろうが、江戸時代であろうが現代の役者と脚本家がほぼ現代語で、今の政治経済、恋愛事情や、戦争なども揶揄しながら描いているのが当たり前になっている時代です。
自分の容姿を磨き、表に出て稼ぐ、そのためには競争も乗り越える覚悟の人も中にはいるでしょう。そんな人が女優に転身したり、トップアスリートや財界人と結婚する、あるいは高年俸でフリーになっていく、とても恵まれた時代とも言えます。そもそもアナウンサーってニュース読むだけで、そんなに容姿関係ないし、要らないじゃないとうド正論もあります。
サムネ写真の女優さんはあざとい嫌われランキング断トツトップです。彼女のように非難が集中した方もいましたが、この方など本当にしたたかにやってきたのがわかります。
みんなコロリと騙されてきたのです。
高齢のご婦人方が、昔ながらに俳優さんや顔のいい力士、アスリートを推すのと、同じようにアナウンサーを見てる方が多く、フジテレビの幹部が堂々と「顔採用」と口にして憚らなかったのを助長する構造です。
カレンダーの表紙を飾った12人の若手女性アナウンサーは、誰が誰かわからないぐらい、どれも美人です。これに違和感を覚えないのも、重症なルッキズム中毒でしょう。
アナウンサーはニュース読むのではなく、若い時だけの人気タレントだと悟られているのでしょうか。

そして、社員ですから、ある程度の接待的なアテンドは仕事として入ってきます。うまくできたビジネスモデルとも言えます。以前は知的なはずのアナウンサーがひょうきんでバラエティに進出し、やがて美形の〇〇パン時代を経て、今その負担を分散するように接待できる人を競わせ量産しているような感じなのは十分推測できます。
まあ、どっちもどっちみたいな議論ですが。このところの問題で感じたのは、中居正広がもう52歳のエエおっさんであるということ、ダウンタウンの松本にしろ50過ぎて、テレビ局に至っては70歳80歳という妖怪のような経営者が会長や社長で永らえる。
長年、権力を握り、業界に君臨して、若い女に手を出すというのです。これらの高年齢では女性の場合そこまでの権力を握る例は少ないです。女性の高齢レジェンドに若い男性アナという男女逆の構図はまずないです。
やはり、お笑いでも歌手や俳優、報道でも男性は50過ぎてメインをはり、女性が20代、若いうちが華という風潮です。この傾向はさすがに表に出過ぎるのは何とかしないといけません。
「女房と畳が新しい方がいい」なんて言うのは死語で不適切になりました。ニュースを的確に伝え、簡単でもコメントやリアクションできるのはそこそこの経験と年齢を重ねないといけないはずです。
紅白歌合戦のような歌番組の司会はエンタメなので、女性アイドルが失敗しながら一生懸命やっている姿が微笑ましいというのはまだ許容範囲ですが、それでも司会業として賛否はあるでしょう。まして報道、アナウンサーはやはりアイドルではないのです。そこをずっとはき違えた仕事にしてしまったテレビ局の罪は深いです。
まさに江戸のメディア王とされる蔦屋重三郎もびっくりの女性ヴィジュアルマーケティングが、日本を緩く軽薄淫らににしたのが今のテレビ局、メディアです。