夕刊新聞の終焉

 兄がプロレスや競馬好きなので、私も学生時代は東スポの関西版、大スポを時々読んでいました。

 その中身の薄さとネタの強引さは、もう笑うしかないような記事も多かったですが、何となく朝刊紙よりも、面白いのでついつい見出しで買ってしまうのが、夕刊紙でした。

 勤めている企業のスキャンダルも結構、辛辣に書かれている時期もありました。
ネットニュースで、概ね内容が分かる時代になると、さすがにサッパリ買わなくなりました。今般、夕刊フジが休刊となりましたが、それも止む無しな状況でしょう。

 ただデジタルというのは、どうしても自分の興味のある記事から入り、嗜好に合った記事につながるため、限られた紙ベースの記事を隅から隅まで見てヒマつぶしをした時期と比べ、意外な知識や新しいジャンルの情報を得ることが少なくなりました。
 ネットショッピングとリアルな買い物も同じ感じです。紙や活字で実際に読むのと、ネットでは感覚が違います。

 そして、ネットのゲリラのようなスクープ精神が、戸別の安定した配達のある朝刊紙とは違います。右寄りだ左寄りだといえ、大手の宅配される新聞はもう記者クラブ発表の垂れ流しで、どこも横並びです。本当のスクープがあるのは夕刊紙か、〇〇砲の週刊誌だけになりました。
 良いにつけ悪いにつけ、強引に目を引きつけさえ、買いたくさせる姿勢はプロ根性がみえます。

 しかし、このように夕刊紙を店頭に並べる売店も減りました。

 生き残った、日刊ゲンダイ、東スポも苦しい状況ですが、新たな可能性を探り、何とか頑張って欲しいものです。地上波テレビといい、何かとメディアは旧態依然とした体質と思われがちですが、ジャーナリストの本来の立ち位置に戻って、あるべき報道の姿で、真実を伝えて欲しいものです。

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