公害 原発事故 負も忘れてはいけない50年

 1970年の万博会場に初めて入った時、本当に未來の空間に来たように夢おどったものです。
 日本はあと30年、50年、21世紀に本当に輝く時代が来るのだと信じられました。
 しかし、日本の国の歴史を見ると、シーソーやブランコのようです。日本ってすごい、日本人ってやはりすごいと思える時期があったと思うと、慢心なのかズルズルと後退し、みんな沈んでいく時期があります。一度、底まで落ちるとまた頑張るのも日本です。
 明治維新や敗戦からの復興もそうでしたが、いい時期のあとには必ず悪い時期も来ます。

 1970年の万博の頃、高度経済成長期から安定成長は続き、世界で二番目の経済大国になり、JAPAN AS NO1と言われ、一億総中流とも呼ばれました。

 高度経済成長の負の部分には、公害や交通事故など予想しきれなかった社会の膨張に伴うものがありました。
 万博の電力館で電気事業連合会は、絶対安全と原発神話を高らかに宣伝していましたが、昭和も終わり、平成になると大きな原発事故も起こりました。
 過去がそうであるように、未来も決して全て明るいものではないのです。光があれば闇がある。闇があるこそ光があるのです。前に進む時があるから、その反動で後退があるのです。後退しきったから、また前進したり飛翔したりする。暗くなるときがあり、寒く冷たい時節があるから、日の当たる季節が温かくまぶしく感じるのです。ブランコやシーソーと同じで、反動の力が湧くのです。

 博覧会は、キレイごとなのは分かり切っています。誘致し、建設するのにも大変なイベントです。大阪に街にはかつて、万博の建設現場で働くため全国の日雇い労働者が来てそのまま住み着いた地区があります。1970年万博も決して良いことばかりではなかったのです。負の遺産は、今回の万博で言われる以上の試行錯誤があったとも思えます。環境の配慮や、労働環境の改善は55年前とは比べられないでしょう。

 公害を起こした企業、原発事故を起こした電力会社も大きな社会的責任を担っています。
 私はこの55年間を感慨を持ちながら、少し冷静に万博を見ます。
 今回の万博ではいったいどんな未来を見せてくれるのでしょうか。

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