幸せは人と比べないこと

 うちの娘は、マイペースであまり空気を読まないで突き進むところがあり、親としては自慢できるのか恥ずかしいのか複雑な子でした。

 遊びでも運動でも何か夢中になると、体力が尽きるまでやり続けていました。参観日などでは、先生を困らせ他の生徒がひくほど質問する子で、聞くと参観日で張り切っているのではなくそれが日常だというのです。
 まだ言葉を覚えて少し経ったぐらいの小さい頃、赤いゴム風船を貰って、「ワタシの風船」といつまでも持って喜んでいました。

 こんな小さなゴム風船でいつまでも遊べる無邪気な時代、親としてはやがて高いおもちゃなどのプレゼントやレジャーにもお金がかかる時期が来るのは分かりました。それでもわずか10円ぐらいの風船でいつまでも遊べる子供を見ていて嬉しかったものです。

 幼稚園、学校、就職先と友人ができると、自分が家の中だけでやってたことが世間の他人と違うと、「ダサい」とか「間違っている」「もっと格好いいものがある」と思わされる情報がたくさん入るのでしょう。
「風船で遊ぶ」「サンタクロースがプレゼントをくれる」「親や弟と一緒にお風呂に入る」などと言うことは、友達から情報が入らないと、娘はずっと信じて楽しんでいたように思います。マイペースな性格は概ね変わらないですが、ずいぶん妥協しながら大人にはなっていくものです。

 それが幸せかどうかは別にして、勉強をしていき、社会にでると清濁、真偽のわからぬさまざまな情報を選ぶ毎日になります。
 他人が持っている情報を羨むと、だんだんとそれが欲しくなって今の自分が幸せなのかが分からなくなってしまいます。

 自分が持っているものが実は素晴らしいと思えることが幸せの第一歩です。

 そんなことを思いださせる娘も嫁ぎ、親になろうとしています。

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