書評:昭和100年ということで

 今年は昭和元年から100年目であり、戦後80年でもあります。戦後80年総括の談話もどうなるか議論されているようですが、政治は昭和からずっとグラグラしてドロドロしたものです。
 もう令和も7年ということで「平成史」なる書物もいくつか出ていますが、昭和ほどの複雑怪奇で魑魅魍魎が跋扈した時期とはボリュームでほど遠く違います。
 左右考え方の違いで、いろいろ言われますが、半藤さんの著作は、よく調べ上げておられます。
 昭和というとどうしても、日中戦争、太平洋戦争と重い戦前編のボリュームが増えます。歴史は、勝者が編綴することが多いのですが、日本では自虐史とも言われ、さまざまなバイアスがかかっているという意見も最近は特に多いです。
 ただ右側の立ち位置から、半藤さんは「左翼だ、自虐史観さ」というのはだいぶ違うと思います。元々、文藝春秋の記者で立ち位置はそれほど左寄りではありません。この年齢の方の、母店でいうと渡邊恒雄や氏家斎一朗、堤清二らも共産党出身でアカになっていまします、朝日新聞や毎日新聞はアカではなく、軍部に寄り添った政府のプロバガンタのような新聞でした。
 最近の報道だけで、右だ左だと決めつけず、先達の著作の労苦の部分は、偏見なく読み取るリテラシーは必要です。

 もちろん、歴史は間違って伝わること、誤解を産みやすく歪曲されている場合があります。資料や証言などを良く読むと、そこらを悟るリテラシーが磨かれます。

 半藤は昭和天皇やその侍従などの資料をよく調べています。陛下を美化しすぎて、軍部が悪役に見え、政治家や大衆が愚かに見えます。しかし、戦争に流れていく歴史の妙な、偶然と必然が複雑に絡んでいくのもわかります。

 戦争で被害を蒙った人、家族を失った人、戦地や抑留で辛酸をなめた人は当事者であり、戦争を恐れ、否定するのは当たり前です。戦後80年経ち、その人達が亡くなっていくことは、感情的なものを排し、昭和の戦争とは何だったのかを検証すべきところです。

 同名のマンガですが、水木しげるの「昭和史」もまた、著者の体験がメインで天真爛漫で本奔放な青年が、軍隊で壮絶な目にあい、片腕も失います。理不尽な運命ともいえますが、その後の活躍は、この時の南国での友人や霊的なものとの出会いも重要なキッカケとなっていて、戦争に対する恨みや憎しむのようなものはなく、淡々と終戦も高度経済成長も描かれます。

 私たちの子供の頃は、傷痍軍人が片隅にはいて、軍隊の物語は映画やテレビや街中でも身近に語られていました。今は大がかりな考証やCGの大作映画でこそありますが、二次三次の伝聞で作られ、エピソートもそれらしい劇的なものが多すぎてリアルさがないのです。
 軍隊で、上官が新参兵を虐める、学徒動員なども容赦なく叩きあげるところなどトラウマになります。しかし、人間はどこでも同じことをやります。企業でも下士官と同じように、「会社のため」「決算のため」「〇〇支店の達成のため」と激しいゲキを飛ばしていました。そしてこんな上司になりたくないと思っていた新人もやがて管理職になると同じことをやっていました。高校の体育会系運動部で3年になるのと、同じですし、学校の多くのイジメ構造と同じです。

 誰が悪かったとか、追及するのもつまらない業です。人間なんて、その場に追い込まれたら同じようなものです。そこをサラッと振り返るだけです。

 歴史を後から見て、現代がいいとか、自虐も、正当化もいらないのです。証言や資料から、著者の思惑から、真実を紐解いていくだけのことです。

 読み応えはあり、詳しい書評、内容などはとても短く書くことはできません。それでも歴史や政治が好きな人、水木さんのはマンが好きな方にもおすすめです。

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