
「昭和史」を紐解くとき、けっこうプロレスという文化は外せない象徴的なものです。
敗戦で憔悴した日本に、テレビという新しい文明がもたらされ、そこでは力道山というヒーローが空手チョップで大きな外国人をなぎ倒して日本人に勇気と希望を与えました。白黒の街頭テレビに何万人という人が集まったのですから今では信じられない伝説的光景でし。
テレビぐらいはほぼ家庭に行き渡った私の子供の頃は、アニメ(および連載漫画)のタイガーマスクでプロレスを少し齧った世代で、実際のプロレスは見なくともジャイアント馬場がタイガーマスクを助け、その下にアントニオ猪木が一緒にいたのを覚えている方もいるでしょう。
力道山亡きあと、日本の高度経済成長期、ジャイアント馬場がプロレス界のエースとなり、アントニオ猪木が追い上げます。
その後、当時の日本プロレスは分裂し、新日本と全日本の二つの団体に馬場と猪木が別れて競いあうのが、昭和末期のプロレスです。
この本の煽りでは、
権威を破壊したアントニオ猪木と権威を追求したジャイアント馬場。
新日本プロレスと全日本プロレスの存亡をかけた1972~1988年の〝リアルファイト〟を再検証! となっています。
「俺のライバルは馬場さんじゃない。プロレスに対する世間の偏見だった」(アントニオ猪木/本書独占インタビューより)
「2022年、アントニオ猪木が設立した新日本プロレスと、ジャイアント馬場が設立した全日本プロレスが50周年を迎えた。今も多くのファンの心を熱くする70~80年代の“昭和のプロレス”とは、すなわち猪木・新日本と馬場・全日本の存亡をかけた闘い絵巻だった。本書は両団体が旗揚げした1972年から、昭和の終わりであり、プロレスのゴールデンタイム放送の終わりでもある1988年までに起きた出来事や名勝負を592ページにわたって網羅。その魅力を追求する叙事詩となっている」(著者より)
この本自体は、そんなに深くバクロ話でもありません。他にも猪木周辺の深い話を書いたものはいくつかあります。
プロレスなんて野蛮だと言う人と、プロレスはスポーツではなく八百長、ショーだとアンチの方も多く、力道山時代と違い、プロレスは新聞のスポーツ欄にも載らなくなりました。一般スポーツ紙にさえ、野球や競馬でも大きく載るなか取り上げられないマイナーな存在になっていました。
それでも、一部のコアなファンは「猪木だ、馬場だ」と熱い論争を繰り広げていました。猪木が常に馬場に挑戦する仕掛けをしては、巧みにやり返されて、リアルなファイトは実現せず、夢の対決で終わりました。興行戦争としては、ここに綴られる70年代後半、かなり激しい引き抜きも中傷もあったガチンコの勝負でした。
二人は5歳の年齢差(昭和13年と18年生まれ)という微妙な開きがありました。実際にピークを過ぎた時期の馬場に、猪木が何度も挑戦を口にしたのは今考えるとある意味卑怯だし、それ以前に猪木はおそらくこの時、プロレスではなく喧嘩で挑む気だったのでしょう。
あらかじめお互いの技を出し合い受け合い、引き分けにするなどの取り決めがあるのが本来ですが、おそらく猪木は馬場を潰す覚悟での挑戦ですから、そんなものを受けるはずがありません。そして受けないと弱虫で逃げているように追いつめるのです。
それでもしたたかな馬場は無視していたかと思うと、ある時期見事にやり返します。オープン選手権という大会を開き、強豪外国人を集めて猪木が挑戦するなら参加せよといいます。これは道場破りの挑戦に対し、しっかり力強い用心棒と師範代を揃える常套の対抗です。来るものなら来いと、来ないなら二度と挑戦すると言うなと返します。
実際の馬場の全日本プロレスでは、猪木が万一参加した時、真剣勝負に強い外国人を次々と充てる算段をしており、不参加が分かると帰国させたレスラーもいるぐらいでした。この話はなかなか面白いです。
この後も、猪木はアジアのチャンピオンの決定リーグ、タッグの統一リーグ戦、格闘技の世界一戦、各地で予選を行い全世界のプロレス最強を決めるIWGPと、次々と挑戦的な企画を出す猪木の新日本プロレスに対し、それ以上のレスラーを集結し、アジア王者も決め、世界最強タッグリーグも行い、世界最高峰といわれたNWAの世界タイトルも日本人で初めて馬場が奪取します。IWGPのために全日本のエース級の外国人アブドーラ・ザ・ブッチャーを引き抜かれると、新日本からタイガージェット・シン、スタン・ハンセンを抜き返します。返り討ちに合い新日本は苦戦します。新日本は猪木の闘魂と言われる激しいファイトこそ人気ですが、外国人は二流で、リーグ戦は羊頭狗肉に終わります。新日本はいつも経営としても、企画全般に今一つギクシャクしていました。そんな劣等生というか、危なっかしいところが猪木側を支えたくなるファン心理かもしれません。
ジャイアント馬場というのは、猪木のライバルだったロビンソン、ハンセンを倒した頃を最後にさすがに衰えて、巨体を生かしたユーモアなプロレスの晩年を彩ります。
猪木は、その鋭い眼光で、体調を崩したり、仲間や好敵手を引き抜かれ離脱されながらも、次々と新たなファイトで格闘技戦、世代闘争、はぐれ国際軍団、マシン軍団と、その時期その時期に新たなファンも掴んでいきます。各世代で出会った、学校や会社などの知り合いでもそれぞれの時期に猪木のファンになったという人も多く、よく騙されているものです。猪木はいわば騙しの名人でもあるのです。
時にセメントでガチの勝負を行う、道場破り、喧嘩も辞さないスタイルで鍛え上げているプロレスなのですが、裏を返せばやはり勝負として結果は決めておき。決まり事通りにやっているのが日常なのです。
心底憎たらしいと思う悪役、ライバル役との死闘もですし、権威を持たせるためのタイトル認定団体も、張りぼて、嘘っぱちです。
或る地区では弱い、日本では強いレスラー、悪役のレスラーもいれば、地元でも正義側に回るのもざらにあります。ロシアやナチスドイツ、モンゴルなど国籍デタラメなケースが多く、兄弟のタッグもほとんど血のつながりがないケースが多いのです。
ワールドリーグ戦とか、IWGPもそうですが、〇〇代表とか〇〇チャンピオンとかいっても、サッカーのワールドカップやオリンピックの代表のような権威は欠片もありません。経歴、肩書詐欺です。野球のWBCはエキジビションで日本の報道はややこんな傾向にあるのが、アメリカ発らしいです。
この本にも一部書いていますが、NWAというプロレスの最高権威と言われていた団体が実は相当眉唾な祭り上げられたものなのです。日本に常駐していたタイトルのIWA,NWFとか、PWFが完全なお手盛りなのはわかりますが、NWA自体も架空とは言わないまでもほぼ幻想です。テレビの全米中継もない時代、アメリカ全土を組織しているようなMLBのような組織とはかけ離れた小さな存在だったのです。
NWAはセントルイスが母体で、ニューヨークは別団体のWWF(一時は傘下も独立)で売上シェア、人口比でもしれています。
NWA幻想は、まさに私らのタイガーマスク世代の時代の日本プロレスで、当時インター王者の馬場、UN王者の猪木にさらに格上の存在として、NWAのチャンピオンとしてドリーファンクジュニアが来日して二人の挑戦を受けた時に遡るようです。アメリカの情報は伝わらず、地名やそこの人口など日本人が知る由もない時代に作られたハッタリです。
日本はアメリカにとっても優良なマーケットだったのです。そこで本来、全米ですら権威の大してないタイトルを、世界一のような幻想を植え付けたのがNWA神話の始まりです。
タイトル、チャンピオンベルトというのは興行の花ですから、地元に一つないとメインエベントで客を呼べないから、団体ができればお手盛りで作るのは当たり前です。ケーブルテレビが広がり、NWAのタイトルも一つになり、ヒール王者が各地のベビーフェイス王者と闘う図式もその後にゆっくり確立されたものです。
こんなプロレスのような嘘っぱちが、日本の復興、高度経済成長を皮肉にも支えたのです。そしてどこかアメリカ依存の体質と騙されやすい日本人を浮き彫りにしているような気がします。
それは今のご都合でルールが変わっていくメジャーの野球はじめアメリカ主導のスポーツ中継にも表れます。
隠れた昭和史とも言える、プロレス興行に中に、昭和の嘘だらけの幻想、洗脳支配の体質が詰まっています。