弁護士も裁判官も完全な人ではない

 1年半の京都地方裁判所の勤務の中で、いろいろと勉強させてもらいました。

 最初は近づくのも恐れ多かった裁判官室も、今ではヅケヅケと入っていって、決済を貰い、時には解釈の間違いを指摘して訂正をお願いするほどになりました。
 専門分野の手続きや解釈と、京都の地名や古い人名漢字などのニッチ部門ではある意味そのへんの事務所のパラリーガルや弁護士には負けない! と言うと、ちょっと横柄なのでやめておきます。

 ただ、司法試験を通られ、その中でも優秀だった裁判官の方、もちろん使命感に溢れ、スゴイ頭の良い方々なのですが、当然ですが血の通った普通の人間であることも、よくわかりました。
 司法試験にしろ、多くの難しい試験にしろ、いろいろな環境もあるでしょうが、一生懸命打ち込めば、いつかは受かるものだともよく聞かされて納得しました。

 裁判官や弁護士さんが、人間であるということは良いも悪いもあると思います。近くにいて、また法曹にからむニュースをそれなり気にして見るようになってなおさら良く分かりました。

 京都では「京アニの放火殺人事件」という大きな裁判もありました。個人的には興味が深かったのが医者が犯した安楽死的意味合いもあった「ALS嘱託殺人」も京都地裁でありました。この間、袴田さんの再審無罪、紀州のドンファン殺人、安倍元総理の殺人の裁判など、各地の裁判所でから報道が目に留まりました。

 直近でいうと「旧統一教会の解散命令」が東京地裁で下されました。この報道、最近いろんなニュースが多くて逆にニュース価値が下がったいたのかあまり大きく取り上げられていませんが、わりと深い問題を秘めています。

 私もちょっとだけ宗教法人に過料を処す仕事の補助をしていましたので、大枠は理解しているつもりです。守秘に抵触することではなく、一般にも知られている範囲での解説と感想です。宗教法人法違反は文部科学省文化庁の管轄で、そちらからの請求を検察庁に求意見して「しかるべく」とされたものを裁判官が決定を下す流れではと思います。
 ここでは、文化庁側の判断が重要になってきて、当初は解散請求にはだいぶ二の足を踏んでいました。しかし、国会でも被害者側に立った追及が増えだし、世論も追い風となったように思えます。

 裁判所が出した「膨大な規模の被害が生じ、現在も見過ごせない状況が続いているとして国の請求を認めて教団に解散を命じた」決定ですが、個人の感想としては、教会側が組織性、悪質性、継続性はなく、解散命令の要件を満たさないのではないかという抗告もさもありなんです。

 世論の圧された感じの内容で、統一教会=悪者という分かりやすい図式なのですが、それだけで押し切れるなら法律も裁判官も要りません。世の中は決して悪と正義、完全懲悪ではありません。昭和の特撮や少年漫画の世界ではないのです。どちらも正しいし、どちらも悪いとも言えます。
 弁護士さんは、立場であり、ビジネスでもあるの世論を煽り味方のするのもしょうがないですが、裁判官は国も立場とは本来違うはずです。こう書くと旧統一教会を庇うのかと、とんでもなく怒る方もいそうですが、これで解散と裁くと同じレベルの宗教法人は実はもっと多くあります。
 自分の意思で信仰し、お金、財産を教団に提供したのは本人にも当然責任があり、その家族に全て戻すのであれば、多くの宗教の寄進にも関わる問題が生まれます。

 破産の問題で、何もかもチャラにしたら、貸した方が大変なのと似ています。

 最近だとLGBT系の話も難しい判決ですが、これも世論に圧されがちという面と、複雑な要素があります。

 国の圧力、世論への忖度、国民目線、個人の立場では自分の思いや利害に都合のいい決定、判決が出ればいいのですが、根拠もなく流れで決まっていくのほど恐ろしいことはありません。小さな違和感は大切にしたいものです。
 

 借金の問題で言えば、弁護士、司法書士の宣伝でよくある、テレビやラジオでも一時期、「過払い金の請求、相談をいつでも」「B型肝炎の給付金」があります。これなどは悪徳とは言わないまでも、士業の荒稼ぎの例です。

 過払いと言うのも、いわゆるサラ金のグレーゾーンの金利で、返せないようなローンを貸した方が悪いような判決です。これが最高裁で出たために、一斉に一定基準のローンは訴訟すれば過払いで返還されるようになったのです。140万円以上は弁護士、それ以下なら司法書士でも手続き可能なのですが、資格がないとできません。そもそも裁判といっても手続きするだけで、弁護士たちは濡れ手に粟という数をこなせばそれだけ懐に入ります。ウハウハで、一等地のビルに事務所を構えられるほど儲かったのです。

 大した仕事でもないのに、既得権で士業が儲かるこの構造も大きな問題ですが、そもそも納得ずくで借りたはずのローンを、被害者然と、後で金利が高かったから返してくれというのも虫のいい話です。何か釈然としないのが、ここらで稼ぐ弁護士さんへの違和感です。

 彼らも立場があり、ビジネスなんだとは思います。しかし、何か志があって司法試験に臨み法曹の道に入った人たち、もう少し世論や私欲に流されず、使命を忘れずにいて欲しいものです。

 法律はその解釈を人がすることで判例となり、レールができます。面白いですし、またコワイものです。

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