SDGsと言いながらすぐ壊れる、無くなる

 エコとともにSDGsという言葉が訳知り顔でささやかれ、持続可能な社会を目指すとか言いながら、昔の製品、設備に比べて、壊れやすいとか無くなりやすいモノが多い気がします。

 時代をどこで比べるかなのでしょうが、家電製品ができる前とか、できたばかりの黎明期のものと比べると、保証期間を過ぎると壊れやすく、部品の保有期間も過ぎると買い替えざるを得ないモノが増えました。ブランドものの家電なら嫁入り道具で一生使うような時代もあったような気がします。
 家電製品や日用品などは売上を上げ新商品を市場に導入しやすいために、商品のライフサイクルを縮め、保証期間後に壊れやすいとか、サポート終了など計画的陳腐化で買い替えを促進する戦略もあるからです。

 しかし、こんな時代、ましてや食料品なども値上げが増える中、安くない家電製品や、住居の設備などが壊れて取り換えで大金がかかると言われるとゾッとします。とくに失業や年金生活で切り詰めているときに、エコとかSDGs以前に生活ができなくなると嘆きたくもなります。

 食料品やら、日曜の消耗品も実質値上げなのに、パッケージを似せたまま容量だけ減らすダウンサイジングなどで誤魔化して、買い控えを避けたい売り手の思惑もあります。
 同じ量を同じ頻度で使っていると無くなるのが早く、何回も買いに行くことになり、容器のゴミも増えます。これもSDGsの流れに抗うものですが、そういう小手先のごまかしも増えています。

 清潔とか便利なようで、小分けされているので実は無駄が多いものがまかり通るのが今の日本のようです。食料品、調味料や洗剤などでも最近は1回ごとに小分けされたものも流行りですが、個別包装を考えるとSDGsとは違う気もします。
 日本人は清潔好きで潔癖すぎるので、飲料の瓶の再利用、リユースはとても少ないのです。昔は豆や豆腐、総菜なども客が用意した容器や袋にその場で分けていましたが今は丁寧にパックされて人の手を介さないものが並んでいます。
 ペットボトルや、小分けのビニール、プラスチックなどは分別で捨てれば良い、その分高価でも構わないという感じで、海外から取り寄せないと個別包装していないものはそうありません。日本人向きの製品ではもう個別包装されたもの以外、選択の余地はありません。

 私の家でも、妻がこまめに掃除機をかけ、電気炊飯器も使い、洗濯機も毎日回します。これらにも修理のしようのないマイコンがついていたりしてほぼメーカーの計算通りに壊れ、けっこう定期的に買い替えが必要で困ったものです。パソコン、プリンタ、スマホ、テレビなどもが、我慢すれば何とかとも思いますが、敵もさるものいろいろ不具合も生まれ、保有部品がない、サポート期間が切れて危ないとか、脅されて買い替えの時期は来ます。
 妻の実家では長らく炊飯器を使わず、平成の半ばまで釜でご飯を炊いていました。釜や鍋は、昔は直す業者があったぐらい長く使われていました。もちろん、洗濯機なんかない時代の方が洗濯する人間は大変だったのですが、山奥などに不法投棄される家電も無かったのです。金属やプラが複雑に組み合わされ、再利用しにくいとは言え、処分にもお金もかかりますし、SDGsともこれまた程遠いものです。
 時代が進み、やや古いものは、電気を消費しやすいとか、セキュリティに問題とか、画質や音が悪い、不具合が多いなど、当然新しいモノがいいいとはうまく宣伝され、結局ゴミも増えます。作る側からもっとSDGsを考えて長く繰り返し使える商品を流通させる社会にしないといけないでしょう。

 持続性とか、本気でいうなら、このあたりの配慮にないものはNGとし、ゴミがでない、部品の修繕などのしやすい互換性を鉄則にする新商品のみ認めるようにしないと無理です。スペックの開発は技術屋やマニアは求めますが、大部分の人には要らないガラパゴスです。ガソリン車と、ハイブリットと、EVと比べても、コストは大差ないし、製造から全てのエネルギー調達も含め廃棄までの全サイクルでの環境負荷だってそう変わりはないのです。
 本当にSDGsというならルールを決め例外を認めず、採算を考慮して、公的機関や業界全体で、進歩や便利さをあえて止めるぐらいの覚悟が必要でしょう。中途半端ならエコでも何でもなくエゴを産むだけです。

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