医療搬送ヘリ事故 失われた若い生命

 救急医療関係のドラマも毎クールのようにテレビで見かけます。ドクターヘリを取り上げた「コードブルー緊急救命」というのもちょっと前に、人気俳優を揃えて制作されていました。MERや小児救急、前クールでは119エマージェンシーコールなどのテーマの番組も、なかなかスリリングでテンポも良く、かつ医療現場の問題を取り上げ社会派の面も持ち、正義感や使命感に溢れた主人公が活躍しました。現実の医療現場がどんなものなのかとも思いますが、知らない課題をドラマがクローズアップされ、良い内容のものも沢山ありました。

 そんな中、一週間ほど前の4月6日、長崎県の離島・対馬から福岡市の病院に患者を搬送していたヘリコプターが、同県・壱岐島沖の海上で転覆した状態で見つかった事故がありました。傷ましい医療用ヘリの事故で30代の若い医師の生命が失われました。

 公的なドクターヘリではなく、民間搬送といわれる民間医療用ヘリによる事故でした。
医療機能に限りがある離島の患者搬送であったこと、そして、亡くなられた医師が若いが手術経験も多い名医であったこと、いくつか悲しい事実と課題が浮き彫りです。
 救急搬送患者は86歳の脳出血患者でそのことも一つの問題として、意見も出ていました。
「86歳を助けるために34歳の命が失われた」ということが、日本の高齢者医療、延命治療や救急医療の逼迫との問題を絡めた提言をされているのです。
 日本は何が何でも高齢者を延命することが優先され、時に若い方とのトリアージュが逆転する場合さえあります。スウェーデンなどではそもそも後期高齢者に緊急搬送は適用しないといった話もでていました。

 日本の高齢者や人権団体などはクレームを上げ、炎上しそうな内容もあります。
【生命の価値は年齢や性別、国籍、思想信条、貧富には関係ない】と怒る人もいますが、その大切な生命を救う医療関係者の限られたリソースを、高齢者の搬送依頼が奪っていることはこのような離島の緊急事態以外にも日常にありそうです。
 
 厚生労働省や医師会、医療費や健康保険、薬事に群がる利権にも関わりますが、これらを切り離しても考えます。
 それでも高齢者をただ助けないといけないからと多額の税金をかけ、危険を冒し延命しないといけないかという命題は残ります。老いても生きたい気持ちはあるのが人の常ですが、それはそれこそ若い人の財産や生命を冒してまでのものではないので、本来納得されるものです。
 一人でも、歩くことや自分で食べることを奨め、下手な延命治療をしないことが、生きる力を延ばし、人の尊厳をむしろ保つスウェーデンなど北欧の医療体制がコロナの時も評価されました。

 お金持ちの高齢者は、治療費も潤沢に払うことができ、高価な治療も受けられる時代です。自分のお金で贅を尽くし、長生きすることは自由ですが、某教授のように【老害は集団自決せよ】とまでは言いませんが、高齢になれば、何かあった時、生きるためのリソースというのは若い方に譲り『ああここでお迎えが来た、いい人生だった』という悟りで旅立つものではと思います。また社会もそれを認めて当たり前に若い人が生きる方にリソースを向けることを非難してはいけないと思うのです。これを若い人が言うと、成田悠輔のように不遜だと炎上しますが、高齢の著名な方が自戒を込めて言えば世論だできるように思うのですが。支持は得られないものなのでしょうか。

 高齢化社会とは言え、生き生きと活力をもって自活している時間こそ生きている証の時です。生きながらえることだけが目標の時間は逆に酷なもののはずです。
 医療や科学技術が発展すると、【不死】や【機械人間】というかつてSFだったようなことが現実になってきます。AI、iPS細胞も進化し、精子や卵子の凍結は当たり前に、クローンやサイボーグももはや止めるのは倫理だけかもしれません。

 生き方ということをもっと真剣に議論しないといけないのかもしれません。

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