
演歌なんてと古臭くバカにする向きもおられますが、曲によってはJPOPの歌手がカバーし、著名なアーティストの作曲もあります。POPSもロックも音楽に境はありません。
演歌歌手も男性も女性もアイドル的な活躍をはじめたのが、昭和の終わりから平成の始めでしょうか。
実力もルックスも秀でた、演歌5人娘という人気歌手の方々も今やアラカンです。何とそのお一人に私は若い頃、楽屋で二人きりになるチャンスがありました。
某県のある会館で、ライブ?当時はコンサートといったものが開かれていたようです。私の元同僚の知人女性が喫茶部でお手伝いをしていたのですが、ちょうど私も別件で訪ねていた時、楽屋に出前に行く依頼が来て、忙しいので代打で行ってくれないかということになりました。売れ出した有名な女性歌手の楽屋ということで嬉しいやら、緊張するやで、慌ててエプロンをしてオレンジジュースを盆にもって届けに行きました。
イメージを膨らませたからなのか、あでやかな着物に身を包んだとにかくオーラが出ているとんでもない美人に見えました。
「ご苦労様、そこ、置いといて」と、あっさり言われて「はい」と返事したものの、何か会話をしたくてドギマギしながら、
「とても、おキレイです。歌をいつも聞かせてもらっています」
「ありがとう、あなた大学生?歌手か俳優になりたいん?」
今よりはずっと若いですが、もう30歳過ぎてましたがバイトの学生みたいに見られたので、少しおかしくなりました。当時彼女は20代後半でデビューしてまだ3~4年でした。
私は自分の話をしてこちらが地元ではなく、もうサラリーマンで京都出身だというと、自分も「大阪や」といきなり関西弁でしゃべりだしました。
当時ネットもなく、Wikiなどで出身や経歴をカンタンには調べられませんでした。彼女は自分は大阪の下町出身で、太陽神戸銀行に勤めたことも話し、どうしても歌が好きでこの世界に入ってやっと売れ出したと語りました。
「サラリーマンを続けてもええし、芝居や本書くの好きやったら、好きな世界に飛び込んで思い切り頑張ったら誰か見てくれはったり、出会えるもんやで」
そんな話を5歳も年上の私に話してくれました。
その後、私もサラリーマンを抜け出すこともできず、ただ忙しい泥沼のような時を過ごしました。あの時、脱サラしていたらどんな人生なのかともいながら、そのすぐあと、彼女がレコード大賞も取り、紅白にも出続ける押しも押されぬ大歌手になっていくのを、羨ましく見るだけでした。
その後の彼女の人生がどんなものかは詳しく知りもしませんが細面の別嬪さんだったのが、面影があるもののすっかり大阪の良く喋るオバサンになってはおられました。30代で結婚され、2年ぐらいで離婚されたようです。家庭よりもやはり歌を優先したのでしょうか。芸能界の闇の部分もあるのかは知りません。
今でもそれでも動画サイトでは素晴らしい歌を聞くことができます。歌は薄幸な女性のものが多いですが、トークを見る限り、本人はいたってあっけらかんの陽性のままな方です。
特に問題はないのですが、あえてイニシャルだけ明かせば K.Kさんです。