
最近ネットでアップされている昭和42年ぐらいの少年雑誌のトンデモ画像です。一応円谷さんの©マークばあります。昭和特撮好きな方はもちろん、ジャイアント馬場選手が対峙している怪獣の名前まで分かるでしょう。
昭和40年前半のプロレスの視聴率はまだまだすさまじく、力道山時代の70%時代とまでははいかずとも、今では考えられない、40%台とかがザラにあったようです。野球や相撲よりも視聴率がとれていた時代です。週1か隔週で時間的にも1時間に上手くまとまり、ゴールデンタイムでしたから、あと競争できたのはむしろボクシングの世界戦ぐらいでした。何よりも日本人が外国人を小気味よく倒すことにスカッとしたのです。
娯楽が少ない時代とはいえ、日本人は外国人に空手チョップで対抗した力道山が一世を風靡した日本のプロレスは、その後継に少し苦しんだ時期がありました。力道山はカリスマであり人気があり過ぎたのです。その後を継いだのがジャイアント馬場、本名馬場正平です。
海外武者修行に送り出されていた馬場正平は、米国で当時の三大世界タイトルであった(NWA,WWWF,WWA)に連続挑戦する超売れっ子レスラーとなり、各地のプロモーターから引っ張りだこになるスターぶりだったそうです。
SNSもネットもない時代で、もっというと全米のテレビのネットワークさえまだない時代で、興行の意味合いももちろんお金の価値も違う時代です。それでも本人の書いたものでも人生でも最大級の随分な贅沢をしたとされ、実際、最初に帰国した折は、大量のドルを稼いでいて、力道山から借金を申し込まれるほどのお金持ちになっていました。
大谷翔平と比べることはできませんが、馬場正平は通訳もなく食生活も大変な1ドル360円時代にアメリカの一大スターではあったのです。ちなみにこの時に良い関係を持ったレスラーやプロモーターとの人脈はのちに全日本と新日本の抗争では圧倒的に外国人レスラーの招聘には有利となります。英語を学んだのと、粗暴ではなく信義に厚いレスラーだったのです。
この頃まだ大人の時間ということや、暴力的だということでプロレスを見ていなかった子供も、「ジャイアント台風」という馬場が主人公の伝記マンガ、そして実在のレスラーが登場した「タイガーマスク」というアニメにもなった人気マンガでも主人公を支えるジャイアント馬場が登場して覚えている子供も多いでしょう。この当時はもう一人の人気レスラーとなるアントニオ猪木も二番手として日本プロレスにいるのが描かれていました。
日本プロレスは、一時期日本テレビとNECテレビで2局が中継する栄華を極めます。しかし、驕った日本プロレスの幹部たちは、2番手だったアントニオ猪木、そしてジャイアント馬場を昭和40年代後半にクーデターのように相ついで独立され崩壊します。
他のジャンルのスポーツやエンタメが出て娯楽が分散する中、昭和50年代はアントニオ猪木の新日本プロレスが台頭して、ジャイアント馬場の全日本プロレスと激しい興行戦争にも入り、この当時高校生以上ぐらいでプロレスを見始めた人は精悍で闘魂溢れる猪木の表情に魅入られ、馬場の全日本より猪木を応援して新日本に肩入れする人も多かったです。
この頃だともう馬場は全盛期を過ぎ、スローモーな動きで、いかにもプロレス的に忖度したような試合でをしていて、猪木が馬場に挑戦を宣言しても馬場は逃げているとかいう猪木ファンもいました。
このあたりを書くとつい長くなるのでまたの機会にします。
プロレスは結局喧嘩ではありません。そののちに内幕が暴露もされますが、力道山対木村正彦時代から、筋書きのできたエンタテインメントです。確かに身体を鍛え、しのぎ合う部分は素人が真似はできませんが、普通に考えれば、あんなに毎日のように喧嘩のような試合もできませんし、矛盾点もいくつかあります。真面目な日本人はそれでも、ある時期まで(個人差はありますが)それを真剣勝負と考え、筋書きがある出来試合で八百長だと知ると裏切られたと思いました。プロレス人気はK-1などの総合格闘技の時代へ移り、やがて、それもウソっぽいことにみんなが気づくと、もう完全にエンタメになったサーカスのようなプロレスが残りました。
その間、猪木の全盛期はまだ20ー30%あったプロレスは視聴率も急降下し、深夜などに追いやられレギュラー番組でもなくなり、馬場や猪木の晩節、主力も分散し、ショー的な興行へと変わります。
ジャイアント馬場、アントニオ猪木、力道山を継ぐ二人のカリスマが消えると、日本でもアメリカでももうプロレスはスポーツとしての社会的地位を完全に失い、エンタメショーとなっています。かつてアメリカのプロレスにはNWAというものすごく各地のプロモーターを束ねる大きな組織がありました。NWAのチャンピオンが来日すると国賓のような扱いの時代もありました。
しかしそれも結局驕れる者久しからずでした。馬場の独立をしばらく支えましたが、やがてアメリカでもプロレス人気は失墜します。
日本でもアメリかでも、スターは延命してかえって、プロレスの裏側を見せてしまいファンを呆れさせる結果でした。
アメリカでも日本でも、カリスマのスターを作り忖度し、組織が儲かり大きくなると、驕りが生まれ、結局腐って失墜していくのです。カリスマが高齢までひっぱり、権力を持ち続け、その業界自体が転落していくことは、どこの社会にもあります。
今は大谷翔平が日本人離れした体格とパワーと技量でかつて考えられなかったMLBで大活躍しています。先駆の野茂やイチローらのレールもありますが、ビジネスとしても大成功に見えます。その人気はかつての力道山や馬場が外国人を倒すのにも似ている爽快さなのです。プロレスとメジャーなどの野球なんて全然違うと反論する人もいるでしょうが、気質のようなものは同じです。
しかし、MLBに日本人比率が増えることは、組織として日本に忖度し、マネーも相当日本に依存しだしています。アメリカの中では相対的に野球の地位が低いのです。日本ではそれほどではない、アメフトやバスケ、アイスホッケーなどがMLBを脅かしており、放送権料も日本の割合が増えています。山本、佐々木と集まりましたが、大谷、ドジャースの日本での人気はスゴイですが、これ以上日本人が増えたら、観客はツアーで行く日本人は増えても現地に人はどうでしょうか。
MLBが日本のマーケッット割合が増え、日本人アスリートが増え、ルールやレギュレーションを変えショー的要素が増えだす。カリスマスターの人気に頼り、そこにお金が集まり忖度が生まれる。これはプロレスのNWAが崩壊に向かった道と似ています。
かつては、プロレスファンも野球やサッカーのひいきチームを応援するように、必死に声援して応援していました。そして日本人は不透明で不可解でも勝てば狂気のように喜んでいました。今の野球とそこは大差ありません。多くのファンのリテラシーは結局、いい試合やプレーもみたいけど、勝てば良いのです。失礼と取られますが、ナショナリズムを擽られ、「頑張れニッポン」で日の丸振って応援してしまうと、戦中と同じで後先見えなくなります。
大谷の活躍に水を差すのはタブーのようになっていますが、あえて書かせてもらいます。昨年シーズン前の通訳の賭博と横領による逮捕で、私は1シーズンぐらいは大谷翔平を連座制で監督不行き届きとして出場停止にするぐらいが妥当と思っていました。それなればまだMLBは健全でその運営を信じ、未来に夢があったと思います。結局、MLBもカネの力なのです。もっと醜いのはそれに喜々と群がるマスコミやスポンサーです。
それで忖度のない運営で真剣勝負なんてチャンチャラおかしい、やはりセメントを謳ったショービジネスなのです。
大谷はスター性があり過ぎて、MLBは彼が全盛期を過ぎる数年後には、昨年彼が去ったエンジェルズのようにイッキに衰退すると簡単に予想できます。日本からの放送権料やCM,グッズ、ツアー、商標などがシュリンクし、次のスターで更新しようとしてももうそこまでのインパクトはないのです。明らかに興行主が後先考えず、儲けてトンズラの様相です。
もう野球のように、ルールも用具も場所も面倒くさいスポーツは日本でも少年の憧れるトップではありません。大谷が去り、MLBがマイナー化すると、個人スポーツやeスポーツなどに加速して流れていきます。
大谷さんは、最後のジャイアントだったのです。