
大谷翔平選手の第一子誕生に伴う父親休暇が話題になっていました。
アメリカということもありますが、時代は変ったものです。ロッテの主力、石川柊太投手も奥さんの出産で休暇だそうです。
日本のファンももちろん、楽しみにしていた大谷さんが何試合か欠場して見られなくとも、高年俸の選手が休むことに非難の声などはありません。暖かく、祝福し復帰を見守っていました。
今でもブラックな企業はあるのでしょうが、労働法も変わり、公務員や企業でも産休や育休、男性の育休も取りやすくなっています。
20年以上前、私の長女が産まれた時など、私は営業マンで、病院には駆け付けましたが、少し仕事の時間をはずしたものの、有給休暇すらとれませんでした。それでも2ー3時間休んだだけで、社内や取引先からは「子供ができて休む営業なんて初めて聞いた」などとさんざんに皮肉られました。未だに軍人か何かと勘違いしてやがるのかと思いましたが、それが当たり前だった時代です。
野球の世界でも、アメリカ人は家族を大切するのが当たり前の感覚なのに、日本人は仕事優先で職階が上がった人などは家族を省みないことが美徳のようにされました。
野球の世界でも、アメリカ人の助っ人が来ていましたから、そんな日米の温度差が昔はありました。もう40年ほど前になりますが、伝説の甲子園球場バックスクリーン3連発を阪神タイガースが岡田、掛布とともに巨人に見舞ったランディ・バースも、良い記録の方だけがフラッシュバックされますが、悲劇もあります。
家族の病気の件で帰国した際には日米の家族と仕事への考え方の違いも顕著にでた事件でした。
バックスクリーン3連発や優勝にも貢献し、三冠王も取った史上最高の助っ人、阪神のランディ・バースですが長男ザクリー君の1988年の開幕後の5月、水頭症手術のため、アメリカへ緊急帰国しました。開幕4連敗後、5月上旬には何とか2位まで盛り返した矢先で、本人は前年は不振の年で、この年も3割は打っていたもののホームランは2本とファンにはやや物足りない状況でのことだったそうです。手術が終わってもしばらくは子どもに付き添いたいということからバースは戻らない。このあと、球団とバースは再来日の期限や治療費をめぐり、泥沼の対立を生みました。阪神は6月27日、なんと最強助っ人の解雇を発表しました。任意保険に入っていなかった阪神の事務方のミスもあったとも伝わります。
これを不当とするバースとの話し合いは長期化。7月上旬、古谷真吾阪神球団代表はロサンゼルスで交渉に臨んだが再び決裂しました。心労もあってか、古谷代表の投身自殺という悲劇の結末でした。
家族、子供の難病手術に、父親が立ち会う、有給休暇付与、健康保険高額療養家族適用ぐらい当たり前の令和では考えられない時代での悲劇でした。
その点では、日本も変わりました。逆に仕事に打ち込む気概が足りない父親が増えたような気もしますが。