四国の鉄道、新幹線すら夢のまた夢か?

 地域の格差が広がる時代で、整備新幹線の採算性やコストや環境などの問題で、ルートの決まった着工路線でさえいつできるかという感じです。

 ましてや、過疎の進む羽越、山陰、四国などへ新幹線ができるのは夢のまた夢という感じです。新幹線が全く走っていない四国、その中でも風光明媚な四万十川沿いの予土線に0系新幹線を模したホビートレインが走っているのは、もはや自虐的な哀れさを誘います。

 ビジネスで少し訪れた以外は、学生時代以来あまり四国を鉄道で旅していませんでした。今般、いろいろな鉄道知識を得たあとの年代に四国のローカル線も乗りました。最初はその車両数の少なさ、電化も進んでいない、ダイヤの不便で、もはや廃止を待つだけのローカル線という見方をしていました。

 しかし、どこのローカル線でもそうですが、町が期待して作られた歴史があり、今なおそれを利用する地域の人びとの暮らしと笑顔がそこにあります。そして車窓からは、日本の原風景あり、海や山、渓谷、清流を臨む絶景がありの、失くしてはならない設備であり、遺産です。

 新緑の季節だと、窓に触れる枝や葉っぱがあり、窓を開けると虫が入ってくるワイルドなところもあります。路線を維持、管理していくのも大変で、ちょっとした雨でも運休になるのもわかります。

 観光で乗って評論している立場とは、経営は違うのは重々承知です。JRも自治体も潤沢なお金があるわけではないのです。
 今の設備を利用しつつ、新幹線とまでは行かずとも、ある程度高速運転する中速化の準新幹線のような構想も、石破総理の口から出ています。昔なら師の田中角栄ばりに、地元の鳥取には山陰新幹線を意地でも通していたかもしれませんが、さすがに鉄道マニアでもそこまでは行きません。

 各県、四国なども4県でそれぞれ特徴が異なり、さらに県庁のある都市と、県の中でも他の市町村ではさらに大きな差があります。それでもその辺の市も歴史があり、それなりの人がいて、そこも救わないと県全体が沈みます。
 高速道路網ができ、公共交通との格差も大きく、田舎というのか地方へ行けば行くほど、クルマ社会でクルマがないと生きていけないとよく言われます。高齢者の免許返納など都会だけで決められても困るとも嘆かれます。
 1970年代、日本列島改造論で企図され、大阪万博で描かれた未来と、今の21世紀の現状はエライ違いではないですか。しかも21世紀はまだ初頭なのだと言われますが、あと30年たってもリニアがやっとでき、今の整備新幹線が少し延長する程度で、半分過ぎても解決できる問題は少なそうです。都市と地方の格差は進み、インフラ整備はおぼつかなく、少子高齢化は進み限界集落は放棄され自治体はどんどん破綻しだすでしょう。

 大阪・関西万博は楽しく面白い内容も多いですが、ことこう言う社会的な問題の未来に関してはネタ切れという袋小路感があります。空飛ぶクルマで過疎地はいったいどう利用でき可能性があるかとか、人間洗濯機など一体どれだけの人が日常化できるものなのか、富裕層はいいですが、どうもリアルな現実感のある提案は少ないです。


 宇宙開発やAIが発展しても、現実には地方はこのまま、取り残されて残るのでしょう。それもまたいいことかもしれません。もう少し、頑張ってこの風景を残して欲しいものです。

コメントを残す

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.