5月に毎年咲く花、どんな花にも名前があり生涯がある

 新生活に慣れるはずの時期ですが。実際の社会人や新しい学年が始まり、慣れて落ち着くはずの2カ月目ですが、一度長い休みで戻って見ると、何だか違和感のようなイヤな感じを覚えてこんなはずじゃなかったと思う時かもしれません。

 5月病なんて、今さらという年齢でも、卒業したはずの学校や会社が懐かしくなる人は多いかもしれません。通っているときはイヤッだった場所でも、それなりに群れるツレがいて、心地よい居場所があった場合、少し慣れるのに時間がかかるかもしれません。

 毎年、いろいろな花が咲き、目を楽しませて、いつの間にか消えています桜や梅みたいに一斉に咲き誇るものもあれば、電柱の影やアスファルトのスキマに咲くような地味なものもいます。

 人間の生涯だって、まあ同じようなものです。華やかに見えても、そう中身なんて変わらないものです。インスタとかいろいろSNS系見て、共感する時もあれば、うらやましいというマイナス感情は沸きあがりがちです。
 でも、多く人格者と言われるような人も、友人など他人が高給グルメ店やらなかなか行けないような旅行をUPするの見て、普通に「コイツ、またか、」って舌打ちしてるもんなんです。

 私もSNSにUPしては、一部では好かれても、それ以上に嫌われ、無視されることの方が多いです。実際自分は良かれと思ってUPしても、しょせんは自己満足であり、優越感と顕示欲のためのものです。そんなものは同じベクトルの人にガイドになって少し共感はあっても、多くはやっかみですから、心配などする必要もないですし、まして劣等感にかられるものではないのです。

 桜であろうと、ひまわりだろうと、月見草だろうと、そこには居場所があるのです。価値があるのです。
 イヤになること、飽きてしまうことも、嘆きたくなることも、一輪の花は呑み込みながら咲き、散っていき、また来年咲くのです。

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